表紙

羽衣の夢   32 相談相手は


 祥一郎は一歩下がって腕を組み、少年たちの野球を見つめていた。 まるで監督のように。
 そして、彼らがすっかりわだかまりを無くして、大声で呼び交わしながら試合しているのを確かめると、日よけに被っていた野球帽をあみだにはね上げてから、向きを変えて歩き出した。
 彼が再び傍を通りすぎるとき、登志子が話しかけた。
「祥ちゃん」
 彼は足を止め、無愛想に振り向いた。
 登志子は祥一郎の人を寄せ付けない空気にめげず、明るく続けた。
「教えてほしいことがあるの」
 祥一郎は顎を上げ、ぶつ切りの言葉で応じた。
「なにを?」
「いじめっ子を止める方法」
 意外な答えだったのだろう。 一瞬の間が空いた。
「どんな奴?」
 登志子は首を小さく振った。
「奴じゃない。 女の子。 自分じゃ手を出さないで、男の子にやらせるの」
「うへー」
 気分が悪くなった様子で、祥一郎は唸った。


 チャンバラごっこで初めて逢った後、下町への数度の訪問で、登志子は男の子たちの何人かと知り合いになった。
 三津子の兄が良太なので、彼の友達が中心になる。 その中に、祥一郎もいた。
 みんな、声をかければ親しみやすい返事が返ってくる連中だが、最初のうち祥一郎だけは手強かった。 自分からは絶対に登志子の傍へ寄ってこないし、にこりともしないから、こちらから話しかけにくい。 人見知りしない登志子でさえ、口をきくのに半年ぐらいかかった。
 そんな二人がわりと普通に話し合えるようになったのは、竹馬がきっかけだった。
 正月の四日目に登志子を連れて下町へ行って、なじみのお寺に参拝をすませた加寿は、親友の一人の山岸悦子〔やまぎし えつこ〕の家へ寄って、新年の挨拶をした。
 とたんに家の中へ引っ張り込まれて座敷に上げられ、悦子と長男の嫁さんの真里子〔まりこ〕につかまって井戸端会議が始まった。
 この家には高雄という男の子が一人いるだけで、おまけに出はらっているので、登志子はすぐ手持ち無沙汰になり、祖母の許可をもらって四軒先の三津子を訪ねることにした。


 薄曇で風の強い道を歩いていると、竹馬に乗った五歳くらいの男の子がパカパカと駆けて来た。 まだ小さいのに、大人用の高いものを使っている。 釣り合いがとれなくて危なっかしいなと思って見ていると、案の定どぶ板の端に引っかかって、どっと倒れた。
 登志子はすぐ走り寄った。 子供は長い竹の下で、半べそ顔になっていたが、急いで目を汚い手で拭くと、怒ったように言った。
「さわんな!」
 転んだのが恥ずかしいのだと、登志子は察した。 それでそっと屈み込み、下げていたバッグからハンカチとヨードチンキを取り出した。
「私もしょっちゅう転ぶ。 だからこれ持ってるの。 ひざ小僧に血が出てるわよ」
「だいじょぶ」
 そう言って、子供は脚を隠そうとした。 登志子は重々しく首を振ってみせた。
「あれ、しみるの怖い?」
「怖くないよ!」
 思った通り、彼はむきになって否定した。 すかさず登志子はヨーチンを布に染み込ませ、子供に渡した。
「じゃ大丈夫よね。 これで拭いて。 バイキンが入らないように」
 ためらいがちに彼はハンカチを受け取った。 こうなればしめたものだ。 膝に当てたとたん顔をくしゃくしゃにしたものの、彼は自尊心にかけて痛いとは言わず、ちゃんと泥と血をふき取って、登志子に返してよこした。
 それから一言、思いがけなく言った。
「ありがと」
 登志子は思わず笑顔になった。
 そのとき、背後から声がした。
「結二〔ゆうじ〕! また転んだのか?」
 登志子が振り向くと、祥一郎が大股で道の角から駈けてくるところだった。







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