表紙

羽衣の夢   28 聞こえた謎

 どこまでも流れていくところを晴子に拾い上げられたという、強運の持ち主の登志子は、体も強く生まれついていた。
 娘がはしかも水疱瘡〔みずぼうそう〕も、軽い風邪に似た症状でほとんど気付かれないうちに済ませてしまったため、深見一家はなんとなく、子供はあまり手をかけなくても育つと思い込んでしまっていた。
 ところが、とても丈夫に生まれたはずだった長男の弘樹は、二年制の幼稚園に通い出したとたん、次々と病気を拾ってくるようになり、晴子と加寿は連日看病に追われた。
 病院へ行くには、父親の吉彦も力を合わせた。 家にいるときは、具合の悪くなった息子を軽々と抱いて、かかりつけの医院に駆け込む。 夜中に弘樹の熱が上がったときは、新しく生まれた次男の世話もあって疲れきった晴子を休ませて、夜明けまで看病したこともあった。


 一時、弘樹は体重が三分の一減り、目ばかり大きくなって、家族全員を心配させた。
 ところが、大騒ぎの四ヶ月が過ぎた後、また情勢ががらりと変わった。 食欲が戻ると同時に弘樹は元気を回復、いや、倍増して、あっという間に幼稚園のガキ大将に変身してしまった。


 あの時期が弘樹の命の境目だったのだろうと、後に吉彦は繰り返し思い返すことになる。 戦場で人の死を嫌というほど見せられた吉彦には、生命力が尽きる瞬間が直感でわかるようになっていた。 だから、一家総出で力を合わせ、全身全霊で長男をこの世に引きとめたことを、口に出さなくても悟っていた。
「うちの子は、小さいときに危ない時期がある体質なのかもしれません」
 弘樹がすっかり元気になって、近所の子たちとセミ取りに出かけた日曜の午後、吉彦は晴子が買い物に行ったのを見極めて、加寿に語りかけた。 ずっと心にしまっていた鬱屈〔うっくつ〕を、誰かに話さずにはいられなかった。
 氷冷式冷蔵庫から出してきた西瓜を切って、婿とくつろいでいた加寿は、緊張した顔になって吉彦を見つめた。
「それって……」
「いや、晴子に問題があるんじゃなく、僕のほうです。 母は僕の前に二度赤ん坊を亡くしていて、丈夫に育ったのは僕だけでした。 最後も難産で死にましたし」
 加寿は何ともいえない表情をして手を伸ばすと、うつむいた吉彦の腕をそっと叩いて慰めた。
「そんなことはわかりませんよ。 お母様は体が弱かったんでしょう」
「滋〔しげる=次男〕も今は元気だけれど、これからどうなるか」
「男の子は女の子に比べると、昔から育てにくいと言われてきましたからね。 でもね、私は心配してません。 あの子たちは乗り切れます」
 加寿の声は穏やかながら、強い自信を秘めていた。
「弘樹のときもそうでしたが、滋が生後一ヶ月無事だったとき、どんなに嬉しかったか。 言わなかったけど私、道南寺でお百度を踏んでいたんですよ、どっちのときも」
 話しながら、加寿は吉彦ににじり寄って、苦悩に満ちた顔を覗きこんだ。
「弘樹を直したのはあなた達。 夫婦で力を合わせて三途の川から引き戻したんです。 本人もよくがんばって、苦しくてもあきらめなかった。 きっとこの家にいたいと心から思ったんですよ。 夫婦仲がよくて笑いが絶えないこの家で育ちたいって。
 あなたは三国一の婿さんです。 それを忘れないで。 今だって私に打ち明けてくれたじゃありませんか。 信じてくれてありがとう。 こういうことは、誰のせいでもありませんよ」
 吉彦は激しく目をしばたたき、なんとか笑顔になって西瓜に手を伸ばした。
「ひとつ頂きます」
「どうぞ。 もうじき登志子が帰ってくるから、全部食べないでくださいね」


 二人が低く笑いあう声を、勝手口から入った登志子が黙って聞いていた。
 大人ふたりが深刻な様子で話し合っているため、座敷に上がりかねていたのだが、聞こえた内容が妙に胸に引っかかった。
──私は病気一つしなくて親孝行だって、いつもお父さん言ってたじゃない…… ──





表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送