表紙

羽衣の夢   24 記憶の中で

 登志子が思い出せる最初の記憶は、日ざかりの部屋の中。 太陽が横から差し込んでいて、斜めに浮き上がった光の束に、きらきらと埃が舞っていた。
 すぐ近くでガラガラが鳴っている。 振り動かして登志子を喜ばせている祖母の、低く優しい子守唄が耳にこころよい。
 そして、離れたところから伝わってくる男女の話し声。 いかにも仲良さそうに語り合っているうちに、笑いが加わった。 二人で笑いあい、息を切らせながらまた話し合っている。
 登志子は安心して目を閉じ、夢を見ない眠りに入った。 みんなに守られていて、幸せだった。


 おそらくそこは和室だったろう。 登志子は座布団か揺りかごの中に寝かされていて、晴れた日にふと目を覚まし、天井を見上げていたらしい。
 のどかで心休まる光景だった。 小学校を卒業するあたりまで、登志子は緊張するとその初記憶を頭に浮かべ、胸を暖かくして落着きを取り戻したものだった。



 戦後六年が過ぎても、学校制度は混乱の最中にあった。 特に公立は大変で、建物が足りない上に、戦中の「産めよ増やせよ」政策で生まれた子供たちが多く、その上戦後にどっと帰還してきた独身男性たちが同じ時期に結婚して家庭を持ったため、あと一、二年もすると大量の新入生が一度に入学してくる羽目になっていた。
 先生は足りず、教科書はGHQ(進駐軍総司令部)の検閲を受けたもので、施設は先生以上に不足している。 一日を二つに分けて生徒を入れ替え、、あわただしい二部授業をするという、ぞんざいな教育になっていたため、少しでも生活にゆとりのある家庭は子供を私立に入れようとやっきになっていた。


 幸い、登志子はおっとりしているわりに頭がよく、杉並区のS大学付属小学校に受かることができた。 合格通知が来た日はお祭り騒ぎで、祖母の加寿が炊いたお赤飯に小さいながら鯛のお頭付き、ケーキやアイスクリームまで食卓に並んだ。
 登志子が喜んだのはもちろん、弟の弘樹〔ひろき〕が大はしゃぎで、三色アイスクリームが少しでも長持ちするよう、ちょっとずつ宝物のように味わっていたのが面白かった。 彼は登志子と三つ違いで、五月五日の節句の日に生まれた。 この誕生日なら誰も忘れないな、と、父が嬉しそうに話していたのを登志子は覚えている。


 幼い頃の登志子には、何の陰りもなかった。 町は平和で、近くの幼稚園には友達と手をつないで通った。 帰りに少し道草して、野原でたんぽぽを摘んだり、親友の家に上がっておままごとをしていたりしても、親たちはあまり気にかけない。 暗くなる前に戻ってくれば、それで大丈夫だった。
 ただ、登志子の家はやや心配性だった。 少なくとも友達の山根みゆきちゃんのお母さんは、そう言っていた。
「一時間ぽっち遅くなったからって、あんなに探し回ることはないのにね。 登志子ちゃんはしっかりしていて、知らない人についていったりしないんだもの」
 でも登志子は、おばあちゃんやお母さんが不安がる気持ちを何となく察していた。 なぜかというと、物心ついたときから、家にはもう一人、決して姿を見せない子供がいたからだ。
 それは不思議な存在だった。 柱の上にある『なげし』という場所にいて、一日に必ず一回、ときには二回か三回も、親たちの誰かが小さな門を開いて手を合わせる。 父はたいてい無言だったが、祖母は話しかけることがあった。 母の晴子は特別で、かならず小さな優しい声で、つぶやくようにいろいろなことを話していた。
 だから登志子は、その小型のお社には、きっと絵本で見た親指姫みたいな可愛い女の子が住んでいるんだろうと、ずっと思っていた。





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