表紙

羽衣の夢   19 夢見た家庭

 晴子と加寿は、出せるだけの食品を掻き集めて、卓袱台〔ちゃぶだい〕に並べた。 かぼちゃの煮付けや卵焼き、芋の味噌汁などを、吉彦は感嘆の眼で眺めわたした。
「これはすごい。 腹いっぱい食べられることなんか、もう何年もなかったからね」
「どうぞ全部食べて」
 加寿が勧めたが、吉彦は頭を振った。
「生存競争は戦争中だけで沢山。 家族一緒に食べられてこそ本当においしいものです。 一番の贅沢だ」
 それでも女二人は少ししか口をつけず、吉彦が夢中で食べるのを、幸せそうに見守った。


 食欲が少し落着くと、会話が始まった。 戦場はあまりにも悲惨だったため、話したがらない帰還兵が多いと聞く。 それで晴子は、本土に帰ってきてからのことを尋ねた。
「港はどこへ着いたの?」
「舞鶴〔まいづる〕だ。 あそこは休憩所があって、何日か泊まれるんだ。 帰宅準備ができるように」
 そこから汽車に乗り、何度も乗り換えて、やっと帰り着いたのだ。 晴子はまた涙ぐみそうになった。
「おでこの他に、怪我はしなかった?」
「小さいのなら何度も。 でも運がよくて、骨折も重傷も負わずにすんだ」
「重い病気にもならず?」
「ああ」
 これも奇跡だ。 たとえ小さな奇跡といえども。 晴子は元気でしっかりと話す夫から、なかなか目を離せなかった。


 その後、張り切って風呂を沸かした。 吉彦は気持ちよさそうに入りながら、湯気ごしに風呂釜の焚きつけを続けている晴子に語りかけた。
「途中で小田原を通ったけど、降りなかった。 一秒でも早くこっちに帰りたくて」
「戦時中、お父様から連絡は一切なかったわ」
 晴子の答えに、吉彦は大きく溜息をついた。
「後添えの言いなりだからな、親父は。 寄らなくてよかったよ」
「あっちもあなたを私に取られたと思ってるんじゃない?」
 晴子がそう言うと、風呂桶の中で体をよじって、吉彦がそちらを向いた。
「あっちが放り出したんだよ。 これから旅館業がどうなるかわからないが、僕は自分の仕事に邁進〔まいしん〕する。 そして、君と登志子とお義母さんとで、暖かい家庭を作ってみせるさ」
 晴子はまたドキッとした。 早く登志子のことを話すべきなのはわかっている。 しかし、こんなに幸せそうな吉彦を見ていると……
 少しでも重圧から逃れようとして、晴子は明るい声を出した。
「お母さんも仲間に入れてくれるの?」
「もちろんだ。 都心のほうは大空襲に遭ったんだろう? 台湾でニュースを聞いて、どれだけ心配したか。 お義母さんも晴さんも無事だったなんて、夢のようだよ」
 でも登志子は、無事じゃなかったの。
 晴子は同じ調子で話そうと大変な努力をした。
「それがね、うちの実家は焼けなかったの。 みんなで守ったのよ、火事を消して」







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