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羽衣の夢   18 遂に戻った

 登志子をしっかり抱いたまま、晴子はよろめきながら立ち上がった。
 足ががくがくする。 今の言葉が聞こえてから、また玄関は沈黙に包まれた。
 空耳だろうか。 あまりにも待ち焦がれていたので、幻聴が起こったのか。
 畳のへりに引っかかりそうになりながら、晴子は前のめりになってふすまを開けた。 すると、薄暗くなりかけた玄関の三和土(たたき)に、軍服の影がひっそりとたたずんでいた。
 二度口を開けて、ようやく声が出た。
「……吉彦……さん?」
「よかった、無事だったんだね!」
 吉彦の叫びが、かすれた悲鳴となって耳に届いた。
 その瞬間、晴子の足に翼が生えた。 狭い廊下だが、ほとんど一っ跳びに越えて、晴子は吉彦に駆け寄り、夢中で抱きついた。


 夫も痩せていた。 骨がごつごつ腕に当たる感触があって、余計に愛おしかった。
「お帰りなさい。 本当にご苦労様でした」
 左手に登志子を抱え、右手で吉彦の背中を撫でさすっているうちに、ぼんやり気付いた。 思ったほどぼろぼろではないし、そう汚れた感じもない。 彼はできるだけ身ぎれいにして戻ってきたようだった。
 吉彦は妻を強く抱き返した後、二人の間にはさみそうになった綿の塊に気付き、中の顔を覗きこんだ。 そしてゆっくり息を吸い込んだ。
「かわいいなあ。 なんて名前にした?」
 ぐっと胸がよじれるのを自覚しつつ、晴子は気丈に答えた。
「登志子」
「女の子か。 すごく綺麗な子だ」
──ええ、この子は本当に顔立ちがいいの──
 心の咎めで視線が自然に外れた。 それでようやく気付いた。 母が上がりかまちに座り込んでいる。 感極まって、両手を顔に当ててすすり泣きつづけていた。




 女世帯で心細かった深見家に、ようやく一足早く春が来た。
 晴子と加寿は、面倒なゲートル外しをいそいそと手伝い、両脇から挟むようにして、吉彦を茶の間に連れていった。
 電灯をつけて初めて、彼の額に古傷があるのがわかった。 それもこめかみをえぐるように斜めに走っている。 晴子はぞっとして、気分が悪くなった。
「撃たれたの?」
「ああ」
 吉彦はこともなげに言い、座布団にどっかりと座り込んだ。 その皮膚は赤黒く日焼けして、出征前のおだやかで上品な面立ちから、精悍で鋭く尖った印象に変わっていた。
「お食事にする? それとも先にお湯を使いますか?」
 加寿が興奮で高い声を出して呼びかけた。 吉彦は座布団の上で座りなおし、笑顔を義母に向けた。
「どちらもありがたいです。 先に風呂に入ってさっぱりしたいのはやまやまですが、それだと寝込んでしまいそうなので、夕食をいただきたいです」





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