表紙
目次
文頭
前頁
次頁
羽衣の夢
14 家庭の事情
晴子と加寿が吉彦の帰りを待ちこがれている間にも、近所では次々と一家の主人や息子達が帰還して、家族からの歓迎を受けていた。
松田家では、南支から次男の栄二〔えいじ〕が無事に戻ってきた。
がっちりした人だったというが、着たきりスズメの軍服が薄い肩からずりおちそうなほど痩せこけて、顔がそげたように鼻ばかり高くなっていた。
我が家にたどり着いたとたん、感激と疲れのため敷居にへたりこんで動けなくなったそうだ。 それでも、五日後に晴子が初めて顔を合わせたときは、新しい服を小ざっぱりと着て、血色よく微笑んでいた。
間もなく、一家と親しい加寿の耳に、新情報が入ってきた。 父親の矢之助〔やのすけ〕が、復員してきた次男を長男の嫁と結婚させようとしているというのだ。
当時はよくあった縁談だった。 そうすれば、やもめになった嫁を養うことができるし、財産分けをしなくてもすむ。 この場合、嫁の久美が若く丈夫で、その上器量よしだったためか、次男の栄二は喜んで承知したという話だった。
母の口から伝え聞いた晴子は、胸の奥が痛むような気がして、顔を曇らせた。
母の加寿も複雑な表情をしていた。 久美が誰に心を寄せているか、二人ともうすうすわかっている。 しかし、三男の睦夫には相続権がなく、戦争で負傷して体も万全とはいえない。
「かわいそうだよね。 でも仕方がないことかも。 まず生きていかなきゃいけないからね」
加寿が重い口調で言い、それきり二人は松田家の話をしなくなった。
二日後、晴子は登志子をおんぶして、通いなれた道をたどっていた。 役場も体制が変わることになって、臨時職員の職を解かれたのだ。
すっかりなじんだ職場では、所長も他の職員も別れを惜しんだ。
「わたし達もいつまでここにいられるか、はっきりしたことはわからない。 何せ、いろんなことが引っくり返ってしまったから」
所長が沈痛な面持ちで言い、僅かで悪いがと詫びながら退職金代わりの餞別〔せんべつ〕を渡してくれた。
たとえ少しの金額でも助かる。 日用品が足りなくて、物価は天井知らずに上がっていた。 靴があっという間に戦中の十倍、二十倍の値段になっていくと、巷の話題になるほどなのだ。
このままだと、母がその母から受け継いだ大事な形見の紬〔つむぎ〕の着物まで、売らなくてはならなくなる。 夫の会社がまだ社宅の費用と給料の一部を出してくれているからいいが、もし彼が生きて戻ってこなければ、それも……。
考えるだけで恐ろしく、晴子は激しく首を振り、絶対吉彦さんは生きているんだから、と声に出して呟いた。
そのとき、角の木陰から不意に人影が現れた。 大きな風呂敷包みを持ち、足を引きずってこちらへやってくる。
松田の睦夫さんだ── 晴子は思わず息を詰めた。
表紙
目次
前頁
次頁
背景:
kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送