表紙

羽衣の夢   8 新たな犠牲

 重苦しい春が過ぎ、更に辛い初夏がやってきた。
 農家の多いこの辺りでさえ、食料はなかなか手に入らなくなった。 本土への爆撃は続き、最近では敵がいつ上陸してくるかが密かな話題になっていた。
 国民学校で子供たちが竹槍の訓練をしている昼下がり、いつものように登志子を抱いて出かけた加寿は、松田一族の畑に人影がないので、驚いて爪先立ちになって見回した。
 薄く雲がかかって太陽が軽く隠れ、涼しくて働くのに向いた天気だ。 いつもなら少なくとも四人は屈みこんで働いている耕地なのに、誰も見えない。
 加寿は嫌な予感がした。


 役場に着くと、下脚にゲートルを巻いた年配の郵便配達人が、竹皮の包みを開いて、職員と共にささやかな昼食を取っているところだった。
 晴子は沸かした湯を持って、代用茶をみんなについでいたが、加寿を見てすぐ迎えに出てきた。
 初老の所長も気付いて、声をかけた。
「お母さん、いつもご苦労様です。 このご時世で熱いだけの茶ですが、一緒に飲んでいかれませんか」
 加寿は喜んで呼ばれた。 三人の職員たちと並んで座って、静かに飲んでいると、少ない食事をあっという間に食べ終えた配達人が立ち上がって別れの挨拶をした。
「ありがとさん。 これから局に戻って午後の配達だわ」
「ご苦労さん。 最近は暗い電報が多くて、気が滅入るわな」
「そうなんだよ。 今日も松田さんとこに届けなくちゃならんで、足が重かったわ」
 加寿はハッとなった。 あそこは二人、戦場に行っている。 どちらが戦死したのだろう。
 手ぬぐいで口元を拭った後、配達人はぽつりと告げた。
「兄さんのほうでな。 純平〔じゅんぺい〕さんといったかな」
 長男さんだ!
 思わず加寿は晴子のほうを見た。 晴子も母に目をやっていて、二人の視線が重くからんだ。




 夏が盛りになった頃、不気味な報道が新聞とラジオに発表された。 これまでとはまったく違う新型爆弾が広島に落とされたというのだ。
 報道管制が敷かれて詳しい情報はわからなかったが、人々はいっそう、この戦争の行く末に底知れない不安を抱いた。
 東京や大阪、名古屋などの空襲もひどく、街は焼け野原といっていい状態だ。 こんなひどいことをする敵だから、本土上陸という事態になったらどんな残虐行為をするか見当もつかない。 せっかく生き延びた登志子の命は守れるだろうか。
 やがて日を置かずに、キリスト教徒の多い長崎まで標的にされたという衝撃の知らせがもたらされた。
 広島には呉〔くれ〕の軍港があるから、襲撃される理由はある。 だが長崎には特別な軍事施設などなかった。
 次はまだ空襲を免れている京都だろうか、という噂が囁かれはじめたとき、不意に戦争は玉音放送で終わりを告げた。
 





表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送