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羽衣の夢   7 交わす言葉

 翌日は休みの日曜日だったが、晴子は小さな包みを持ち、脇には蓑を抱えた上、登志子をおんぶして家を出た。 行く先は、もちろん蓑を貸してくれた睦夫のいる松田家だ。
 松田一族は山の手に住む大地主の土地を借りて農業を営んでいる、いわば小作人だ。 だが何代にもわたって少しずつ借地を広げ、今では中堅農家として、悪くない暮らしをしていた。
 晴子が遠慮して裏手から庭に入ると、睦夫が庭の向こう端で鎌をといでいるのが見えた。
 声をかけようとしたとき、茅葺〔かやぶ〕き屋根の家から若い農婦が出てきた。 手ぬぐいをうまく結んで被ったその姿は、昨日晴子と母が話していた長男の嫁、久美〔くみ〕のものだった。
 よく晴れた空の下、ざるに洗濯物を山盛りにして干し場へ運ぶ途中で、久美は少し遠回りして睦夫の傍を通り、一言二言話しかけた。 小さな声だったらしく、晴子のいるところまで届かなかったが、睦夫はすぐ顔を上げると、はにかんだような微笑を返した。
 ほんのひとときだった。 久美の足は止まりさえしなかった。 だが五十歩ほど離れた距離から見ていた晴子は、鋭く何かを感じ取った。
 彼女も前に、恋をしたことがあったから。


 気を遣って久美が干し場へ去るのを見送った後、晴子は改めて庭に入って睦夫に挨拶した。
 礼を言って蓑を返し、ゴムの長靴を渡すと、睦夫は驚いたように目を細くして、ぼそっと言った。
「これで米の一合でも取り替えたほうがいいんじゃないかね」
「でも、母と娘に親切にしてもらったから」
 笑顔でお辞儀して帰る途中、晴子は一度だけ振り返った。 すると睦夫はまだ手を休めて見送っていて、目が合うと片手を上げて挨拶した。




 家に帰って母と昼食を取りながら、晴子は松田家の庭で見た場面を話した。
「ちょっとだったんだけど、何か通うものがあったの。 睦夫さんの目付きが優しくてね、びっくりするくらい」
 箸を動かしながら聞いていた加寿は、ゆっくり目を上げて真面目な口調で言った。
「誰にも言っちゃだめよ」
 晴子は驚いた。
「言いません。 お母さんにだけ」
 加寿は頷き、言葉を継いだ。
「晴子の勘は正しいと思う。 足を痛めていても、睦夫さんには魅力があるもの。 身なりをかまわないけど、よく見るといい顔立ちだし、男らしい」
 一息置いた後で、加寿は首を小さく振った。
「戦地の旦那さんに似てるのかねぇ。 それならまだいいけど、睦夫さん本人に惹かれてるとすると、後がややこしくなるわね」





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