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羽衣の夢
3 子供の将来
晴子が歌っていたのは、子守唄だった。 胸を打たれた加寿は、涙ぐみそうになりながら下駄を脱ぎ、廊下に上がった。
「預かったの?」
晴子は、目を閉じている幼子に頬ずりして答えた。
「ううん。 この子は登志子よ」
母は震える息を吸い込んだ。 初めての子が命を落としてから、娘の具合がずっと悪いのはわかっている。 もしかして苦しみのあまり、よそのお宅から赤ん坊を黙って持ち出してきたのだとしたら……
できるだけ平静を装って、加寿はやさしく尋ねた。
「私にも抱かせて」
とたんに晴子はくるりと体を返し、後ろを向いてしまった。
ややはっきりしなくなった声が、それでもきっぱりと宣言した。
「これは登志子なの。 私が見つけたんだから。 でもここじゃお葬式まで出してるし、石神井〔しゃくじい〕の家に戻って、あっちで育てるわ」
やっぱり他所からさらってきたんだ!──加寿は困りはてて、晴子の背中にしがみついた。
「気持ちはわかる。 本当によくわかるのよ。 でも、その子のお母さんだって心配してる。 あんたに劣らないほど悲しむわよ。 それでもいいの?」
すこし黙っていた後で、晴子は自信のある口調になった。
「いいえ、この子はお母さんに捨てられたの」
「晴子!」
晴子はまた体の向きを変えて、真正面から母と向き合った。
「トランクに詰められてたのよ。 川を流れてたの。 まるで桃太郎の桃みたいに」
加寿は胸元に手を当てた。 晴子は母の手を引っ張ってお茶の間に入り、まだ湿っている革のトランクを見せた。
「ほら、上等な作りでしょう? だから沈まなくて命が助かったの」
「まあまあ……」
そう言うより言葉がなかった。 加寿は額に手を当てて首を振った。
「いくらこんなご時世でも、子供を川に捨てるなんて」
すぐ晴子の表情がかがやいた。
「ね? わかってくれた? 流れてくるのを見つけたとき、なんだか引きつけられたの。 この子が呼んだんだわ。 助けてくれ、拾い上げてくれって」
加寿だって子供は好きだ。 無意識に手を伸ばして、ふっくらした赤子の頬を指でさすった。
「しもやけもあかぎれもできてないわ。 手足もふっくらしてるし。 ちゃんと栄養が足りてる。 大事にされていたのね」
「何が起きたと思う?」
二人は顔を見合わせた。 空襲に追われて逃げ出したにしても、親なら子供をしっかりとおぶっていくだろう。 それができなくても、籠ならともかく、息ができるかどうかわからないトランクに放り込んだりするだろうか。
加寿がためらいながら口にした。
「もしかしたら火に巻かれて、子供だけは助けようと思って中の服なんかを出して、赤ちゃんを入れて川に投げたのかもしれない」
それなら考えられる。 改めて子供を抱きしめた晴子の目に、涙が光った。
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