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表紙


37 いきなり車



「すいません、、ともかく一回出てきて見てもらえませんかね〜。 大きさのわりにそんなに重くないんで」
 困りながらも、円香は一応見に行くことにした。 玄関から出ると、雨は小降りになってはいたが、まだ落ちてきていた。 円香はビニール傘を差して、敷石の上を小走りで大門まで出かけていった。


 通用口に灯りをつけると、外から小さな、おっ、という声が聞こえた。 宅配の人だ。 円香は急いで大門に移動し、横棒を外して片方の扉を開いた。
 するとそこには、意外な人が立っていた。 黒い傘を肩に担いだ斉だ。 急に明かりがつき、大門が開いたため、びっくりして足が止まったようだった。
「なんだ? こんな夜に何してんの?」
「あ、宅配の人がね」
 そう早口で言いながら、円香は周囲を見回した。 やや広めの道は静かだった。 大荷物はどこにも見えない。 宅配の車も停まっている気配はなかった。
「あれ?」
 斉は閉まっているほうの大門に肩を寄りかからせ、皮肉な目で円香を見た。
「宅配が、何だって?」
「大荷物で、通用門を通らないんだって。 だから大門を開けてくれっていうから」
「まだ引越し荷物残ってたの?」
 斉も同じことを考えている。 円香は大きく首を振った。
「全部来た。 もしかすると蔦野さんが何か注文して、忘れてるのかなと思って」
「ああ、そんならありうるな」
 それで斉も納得した。 だが肝心の荷物と宅配車は?
 ただでさえ街灯の少ない地域で、しかも雨で光が遠くまで届きにくい。 円香は道の真ん中まで出て、手をかざして遠くまで見通そうとした。
 そのとき、車が四つ角を曲がってきた。 そしてスピードを上げながら、道を突っ走ってきた。 とっさのことで、円香は傘を握りしめたまま、黒っぽい車のライトが人魂のように自分に向かって飛んでくるのを、魅入られたように見つめていた。
 その瞬間、思い切り引っ張られた。 どこを引かれたかさえ思い出せない。 後で着換えのとき、上腕部に薄く青あざができていたので、きっと力任せに掴んで引いてくれたのだろう。
 気がつくと、大門にへばりつくように寄りかかっていた。 車はとっくに轟音を残して消えてしまった。 荒く息をついているうちに、斉が緊張でしわがれた声で呟いた。
「あの車、君を轢こうとした!」


 円香は道路に目をやった。 そこにはビニール傘がつぶされて、無残な姿をさらしていた。
 斉は憎々しそうに続けた。
「全然ブレーキかけなかった。 それどころか、スピード上げてるように見えた」
「戻ってきそう?」
 やっと声が出るようになって、円香はこわこわ道の彼方に黄色いライトの目玉を探した。 幸い、その気配はないようだった。 周りはいつもの静けさに戻り、帰宅する自家用車の姿も今日は見えなかった。
 大門から引き剥がすように体を立て直すと、円香は斉に頭を下げた。
「ありがとう、ほんとに。 あなたがいなかったら、今頃あの傘みたいになってた」
「反射神経はいいんだよ。 他にあまり自慢できるもんはないけど」
 斉はつぶやき、手に持ったコンビニの袋を掲げて見せた。
「ゲームの課金支払いして、ついでに缶コーヒー買ってきたんだ。 たまたま通りかかってよかった」
「そう……」
 円香は上の空でうなずいた。 斉が心配そうに体をかがめ、顔を覗きこんだ。
「警察に通報する?」
 道路を振り向くと、また雨脚が強くなり、タイヤ痕が水に洗い流されていくのがはっきりとわかった。 円香は力なく首を振った。
「わざと轢こうとした証拠ないし。 ほら、雨のせいで通った跡が消えてく」
 斉は歯噛みした。
「番号見てればよかったんだけど、まず助けるのが先決で」
 今頃になって涙が出そうになった。 円香はうまく口がきけず、傘を拾いに行こうとしたが、斉が制して持ってきてくれた。  






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