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29 愉快な一日
いまいましい雨は、翌日の早朝まで残った。 だがほとんど霧雨といっていいぐらいに弱まったので、円香はいつもの掃除の時間にパーカーのフードをかぶって門まで行き、通用門の屋根で雨よけしながら道を見渡していた。
するといつものように、保がなめらかに歩いてくるのが見えた。 これからずっと付き合うことが出来て、彼の仕草に慣れきってしまっても、この歩き方にはきっと見とれるだろうなと、円香は予感した。 好きな人の動作で特に好きで、愛しくてたまらない場合があるものだ。
傘を差すほどではないので、ショルダーバッグを脇にくっつけ、両手をポケットに入れたままやや前かがみで歩いていた保は、大垣邸の門柱の横から白い花のような顔が覗いているのを見つけ、とたんに早足になった。
「おはよう」
「おはよう。 もうじき雨上がるね」
円香のすぐ前に立って、居残る雨から守るようにしながら、保はささやいた。
「まだうちの家族は誰も円香ちゃんに逢ってないんだって? みんな会いたがってるよ。 ちょっとうざいけど気にしないで」
それから急いで付け加えた。
「母が、円香ちゃんの好きな料理って何って訊いてた」
円香はちょっと焦った。
「え? いや、わざわざ私のために気遣わないで。 好き嫌いはほぼないから。 あ、劇辛はちょっとダメだけど」
「それは母もダメ。 デザートは好き?」
「好き!」
思わず円香の声が弾んでしまった。
「あれ、催促してるように聞こえた?」
保は笑い、一瞬だけ円香を抱きしめた。
「ダイエットしてなくてよかった」
「あれはしない。 するぐらいならジョギングして締める」
円香は真面目な顔で答えた。
土曜に半日いなくなるから、円香はその金曜日一日を蔦野さんのために過ごした。 二人で昼食を用意した後、こたつに入って大型テレビで、エノケンという小柄なコメディアンの時代劇を見た。 おどろいたことにテンポが早くてギャグが面白く、今見てもすごく笑えた。
その後、すっかり乗った蔦野さんは、【モン・パパ】という歌を教えてくれた。
「うちのパパとうちのママはノミの夫婦♪ 大きくて、立派なはママ♪ うちのパパはうちのママにかなわない♪ 大きな声で話すは、いつ〜もママ、小さな声で答〜えるは、いつ〜もパパ」
「あの当時から?」
円香がそう訊きかえして、二人はどっと笑いころげてしまった。
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