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表紙


21 心を決めた



「どんな字を書くのかわからなかったの。 なにせ電話でしょう? 相手の人もせかせかしていて、私が聞き返す前に切れてしまって」
「書類を送ってくるっていうんですから、そのときわかりますよ」
 円香は慰めた。 心のどこかでは、ただのいたずらか嫌がらせだといいのに、と思っていた。 しかし、蔦野の父親には確かに二人弟がいたそうだし、ウソと決め付けるのは早すぎる。 鈴木というよくある苗字だけに、調べるのも無理があった。
 そこで円香は、はっと気づいた。
「そういえば、ここの電話は自動録音でしたよね? ほら、オレオレ詐欺の防止に取り付けたってことで」
「そうだわ!」
 蔦野の顔も少し明るくなった。
「初めてかけてきた人はそうするようになってるの。 少し前の型だから、相手に警告は出せないけれど」
 二人は立ち上がって、急いで居間のほうへ行き、固定電話の録音を聞いた。
 確かに偉そうな男の声だった。 それに大声だ。 生まれつきなのか、威圧しようと思ってやっているのかはわからなかった。
「若くはないですね。 たぶん六十代以上」
「私の従兄弟なら、それでも若いほうだわ」
 そう言って、蔦野は小さく笑った。


 月曜日の朝は曇りだった。 円香は例のボンボンのついた帽子をかぶり、淡いピンクのセーターなど着てみて、朝の五時半から鏡の前でポーズを取った後、グレーの裏起毛ストレッチジーンズを下に合わせた。 おしゃれをこんなに楽しんだのは、去年の夏以来だった。
 やがて保が軽い足取りでやってきた。 ずいぶん離れたところからお互いを見つけ、おおっぴらに手を振り合った。 まるで小学生みたいだが、それがすごく気持ちよかった。
 保は正直な性格らしい。 途中から駆け足になって長い塀の道を走り過ぎ、熊手を手にした円香の前で止まった。
「おはよう」
「おはよ」
 そして何と、傍においてあった小型のほうきを自分の手に取って、気軽に手伝いはじめた。 円香は恐縮した。
「え? いいのに〜」
「やらせて。 君だけ働かすのは嫌だし、この時間はめったに人は通らないから目立たないよ」
 好きだ、好きだこの人── この瞬間、円香の気持ちは決まった。 彼の恋人になりたい! その先、どうなるかわからないが、彼とすてきな恋ができることは、もうわかっていた。
 そんな幸せな気分の中、相談を持ちかけるのはちょっとためらわれた。 時間もあまりないし。 だから円香はその場で蔦野の小さな災難を語るのをやめて、保が手早く集めた表通りの落ち葉とゴミをありがたくちりとりに収めた。
「ありがとう。 今日も残業?」
「うん、月末は何かとね」
「お疲れさまです。 じゃ、月初めは少し暇?」
 そう持ちかけてから、円香は目をつぶりそうになった。 しまった、またこっちから誘ってしまった。
 だが保はたちまち目を輝かせた。
「うん! なに?」
「あの、ちょっと相談したくて」
「じゃあ、今スマホ持ってる? 連絡用に番号入れよう」
 やった! 円香はきゅんきゅんしながらジーンズのポケットを探った。






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