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19 不審な電話



 大垣邸に着く少し前から、保は言葉を捜していた。 何と言って次の出会いを作ればいいだろう。 この街案内は円香のほうが言い出してくれた。 だから今度はこっちが誘う番なのだが。
 大門の前で円香は立ち止まり、にこっとして保を見上げた。
「今日はありがとうございました! これで安心して引っ越してこれるなぁ」
 保の胸にポッと火が灯った。 つまり円香ちゃんは名実共に大垣さんのヘルパーになって、ずっと隣に住み込むんだ!
「大変なことがあったら言って。 手伝うよ」
「そんなこと言うと、本気で頼んじゃうから」
 円香はくすくす笑い、保の腕にそっと手を置いて優しく言った。
「でもほんとは、もう少し先になる。 家賃を給料の後にすぐ口座振込みする形になってるから、来月分はもう払っちゃってるの。 だから、すぐやるのは解約の連絡と転出の手続きとか、そういうの。 実際に荷物運び出すのは来月の末かな」
「今はそっちに帰ってるの?」
「週一ぐらいにね。 郵便物取りに」
 郵便なんか少ししか来ないけど、と円香は心の中で呟いた。 もう前の会社を思い出させるものは全部捨ててしまおう。 引越しはいいチャンスだ。 蔦野さんは一日も早くこっちへ住み着いてもらいたくて、引越し料を三○万円も気前良くくれたし。 だから余分な一か月分の家賃を差し引いても、円香の懐は暖かかった。
「故郷から出てきたときに引越し頼んだから、なんとかなります。 荷物も多くないし」
「そうか〜」
 知らないうちに残念そうな声が出ていたらしく、円香はなだめるように彼の手首を軽く握ってくれた。
「言ってくれてありがとう」
 そのとき保は、語るべきことをようやく思いついた。
「ほんとに頼ってくれていいから」
「じゃ、少しだけ」
 円香は目をきらっとさせて言った。
「何時に出勤するか決めてる?」
 保の鼓動が速まった。
「六時少し前」
「じゃ、そのころにここ掃除する」
 円香の手が腕から離れ、ぱたぱたと足音がして、通用門が閉じた。
 手首の温かい感触が薄れていくのを惜しみながら、保は夢見心地で自宅へ向きを変えた。


 円香のほうは玄関まで走った。 また私から誘ってしまった、と気づいたが、道案内を頼んだときほど恥ずかしくはなかった。 保はおっとりしていて、ナンパが下手なのだ。 でも今日半日付き合って、なんとか誘おうと一生懸命なのが伝わってきた。
 いいなあ、あの人── 円香はうっとりした。 もう自信過剰な男はまっぴらだ。 といって保は弱虫なわけではない。 つないだ手は力強く、しっかりしていた。
 薄暗くなりかけた中で、玄関にはちゃんと明りがついていた。 蔦野さんは先に戻ってきたらしい。
「ただいま」
 元気に声を掛けて円香がガラス戸を閉めると、普段着に着換えた蔦野が真剣な顔をして奥から現れた。 そして、まだあがりかまちにいる円香の手を取って、少し震える声で言った。
「十五分ほど前に電話があったの。 初めての人なんだけど、あなたの親戚ですって言うのよ」






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