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18 気が合って



 保の悲しげな顔を見て、円香ははっとした。 せっかく二人で会って楽しくデザートまで食べてるのに、ここで気分を落ち込ませたくない。 急いで笑顔になると自分のケーキを食べ終えた。
「おいしい、このお店」
「わりといいよね」
 保も肩の力を抜いた。 彼も円香と同じことを考えていた。 やっと会えたんだから、盛り上げなくちゃ。 オレってやっぱり気が利かないな。
「大垣さん最近楽しそうだって弟が言ってた。 やっぱり円香ちゃんが来たからだな、きっと」
 言ってしまってから気がついた。 早々と名前で呼んでしまった! いつも楽しい空想の中でそう言ってたからだ。 あぅ、オレってバカ。
 へどもどしながら、保は言い直した。
「いや小田島さん。 なれなれしかった?」
 円香は急いで首を振った。 保の穏やかな声で言われると、普段思っている倍も自分の名前が優しく聞こえた。
「長い苗字だから。 円香でいいよ〜全然。 それに、懐かしいな。 親たちにそう呼ばれてた」
 祖父母はかわいがってくれたが、名前は呼び捨てだった。 実際、高校二年までの円香は運動部で日焼けして真っ黒。 呼び捨ての似合う雰囲気だったし。
 保は少し安心して、コーヒーを飲み終えた。
「じゃ、これからどうする? もう少し近所を回る?」
 円香はもう答えを用意していた。
「大通りの店はだいたいわかった。 ここから大垣さん家までの近道、教えてくれる?」
 つまり裏通りを戻っていく道だ。 円香はできるだけ保と二人で歩いてみたかった。
 保は気軽に同意し、すっきりと立ち上がった。 この人の動作はどうしてこんなにきれいなんだろう、と、円香は感心し、まじまじと見とれないよう自分に強く言い聞かせた。


 住宅街をのんびり歩きながら、二人は更に話を続けた。 保は父が友達と二人で設立した中堅のサンダル会社に勤めていて、今は課長をしていた。
「課長といったって、実態は倉庫係だけどね。 ミュールがあちこちの会社で禁止になったときは少し苦しかったらしいけど、今はクロックスがけっこう売れて、持ち直してるんだ」
「私はどっちも持ってる。 そういえば、青のクロックスはたぶんお宅の会社だ」
「それはありがとう」
「スニーカーは作らないの?」
「いや、一昨年から少しずつ始めてる。 高齢化でスニーカー履く人が増えたから」
「事業拡張だ」
「進化しないとね」
 円香が熱心に話を聞くので、つい仕事を詳しく説明した保は、もっと若さのある話題はないものかと頭を痛めた。 円香に話題を振るのも、さっきの失敗で気が進まない。 もう地雷に近づくのはたくさんだ。
「この町、どう思う?」
 不意に訊かれて、円香は一瞬考えた。
「いいところだと思う。 落ち着いていて静かで、でもお店や施設はいろいろ揃ってて」
「たしかに住みやすい。 交通の便もいいし」
 ずっと住みたくならない? と続けそうになり、保はあわてて口をつぐんだ。 そのとき、円香がくにゃっとよろめいた。 綺麗に舗装された道路に、珍しく小さな障害物が落ちていて、踏んでしまったのだ。
 保は反射的に彼女を支えた。
「大丈夫?」
「うん……何だろ」
 保につかまったまま、円香は膝を折って道に転がっているものを眺めた。
「はさみ? ちっちゃ〜い」
 そして、すばやく拾い上げて傍の低い塀の上に置いた。
「後から取りに来るかもしれないから」
 親切だな、この子── そう思ったとき、保は自然に円香の手を取っていた。 円香の手はほかほかしていた。 そして保の手も。
 二人は手をつないだまま、暖かい気持ちで残り少ない道筋をたどっていった。






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