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表紙


16 浮き浮きと



円香〔まどか〕は一秒ほど、斉〔ひとし〕の上気した顔から目が離せなくなった。
 その間に、ピンとひらめいた。 この人、自分でそう見せたいほどスレてない。 ちょい悪でさえない。 むしろ育ちはいいほうなんだ。
 そう気づいて、円香は急に気楽になった。 肩から力が抜けて、笑い出してしまった。
「ごめ…… びっくりした? 言葉がつっかえただけだって。 ゴムったって、手袋。 ゴム手袋。 ほら掃除用の」
「ああ」
 相手は気の抜けた声を出した。 円香はきょろきょろともう一度通りを見回した。
「この辺の人? ドラッグストアかなんか、近くにないか知ってる?」
「えぇと、ああ、佐山ドラッグが、あそこ」
 嬉しいことに、道路を渡ってすぐ目の前に、小さな薬屋がきゅうくつそうに店を開いていた。 円香は白いポンチョの裾から手を出してイケメン青年に振り、今しも青に変わった信号に駆けつけながら陽気に言い残した。
「ありがと!」


 せっかく教えてもらったのだからと、円香は佐山ドラッグでいろんな種類のゴムやプラスチック手袋を七つも買い込み、ついでに使い捨て手袋を一箱おまけにつけた。 ポリ袋に入れてもらっていそいそと大垣邸に戻った後、冷蔵庫からごはんを出してチンし、鮭缶とかつお節を入れて手早くおにぎりを作ると、海苔を巻いて三つ食べた。 毎日ご馳走で幸せだったが、たまにはこういうものも口にしてみたかったのだ。
 野菜代わりにりんごを丸一個かじり倒した後、鼻歌を口ずさみながら着換えた。 脚がほっそりと見えるスキニーパンツと、やや可愛めのジャケットに、ポンポンのついた毛糸の帽子にした。 鏡に映してみて、少しぶりっ子な気もしたが、おっとりした保には合いそうだった。


 二時二分過ぎにチャイムが鳴った。 わざわざインターホンで答えずに、円香は玄関に猛スピードで鍵をかけて門まで急いだ。 そして、ちゃんと着換えた保にしびれてしまった。
 うわーかっこいい。 こっちが気後れするほど素敵じゃないか。 どうする?
 保のほうも、ふんわりしたモヘアの帽子に囲まれた薄付きメイクの円香を目にして、五つほど短くまばたきした。 気に入ったんだ、とわかって、円香は嬉しくなって微笑んだ。
「こんにちは。 すみません案内なんて頼んじゃって」
「いや」
 それから保も微笑した。
「実は楽しみにしてました」







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