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表紙


12 ウソも方便



 円香が新しい自転車を買った翌日から三日間、雨が降り続いた。
 これでは新車で買い物に行けない。 無理して買いに行かなくても、冷凍のお肉やお魚がまだたくさんあるから、と蔦野が慰めてくれたが、円香は防水のエコバッグを持って新鮮な野菜だけは買いに出かけた。


 一方、保はくさっていた。
 毎朝、雨、雨、雨だ。 会社に行くのが面倒だし、けっこう大降りなので、外を掃除する物好きなどいるはずもない。 円香の姿をちらりとでも見たいと思ったが、大垣家の門と塀は立派過ぎて、中を見通すことができなかった。
 そのせいかどうかわからないにしても、金曜日に保は仕事でうっかりミスをしてしまった。 わりと慎重な彼には珍しいことだ。 それで室長に怒られ、課長にも軽くからかわれて、夜には飲み会の誘いを断るほど落ち込んだ。
「なんだよー、おまえ来ないの? 目玉がひとつ減るってこと?」
 保は驚いた。
「誰が目玉だって?」
 明るくてけっこうモテる田畑〔たばた〕が保をにらんだ。
「当然おまえだろう。 謙遜すんなよな」
「そうだこの女寄せパンダが」
 デスクを並べる立花〔たちばな〕にも肩ではじき飛ばされて、保は顔をしかめた。
「何言ってんの? オレ愛想悪いでしょう」
「そこがかっこいいって女子がいるんだって。 クールで」
 そんな耳寄りな話は初めて聞いた。 だが保は信じなかった。
「おだてて人数合わせようとしてもダメだよ。 悪いな、両手に花でがんばって。 じゃあな」


 不機嫌は土曜の朝まで続いた。 いつもはあまりくよくよしない性質なのに、なぜか尾を引いた。
 落ち着かなくていらいらする日は、何を食べてもまずい。 おまけに外はまた雨だ。 保は朝食用に自分で焼いたバタートーストを二口食べて放り出し、鼻から強く息を吐いてから、濡れてもいいように学生時代のよれっとなった防水ダウンジャケットを引っ張り出して、どしどしと家を出た。
 行き先は、例のコンビニだった。 休みはいつも同じようなことをしている。 オレってマンネリ、と気づきながらも、今日は体が温まるおでんを何種類か買ってこようと決め、ポケットに放り込んだ財布を確かめた。
 そのときだった。 道の向こうから紺色のチェックで縁取りした白い傘が近づいてきた。 肩にかつぐようにかけているため、魅力的な顔がはっきりと見分けられた。
 円香ちゃんだ! 気づいた瞬間、反射的に声が出た。
「あ、こんちは」
 円香は一瞬きょろきょろした後、斜め前四メートルほどのところにいる黒い傘に視線を向けた。 そして、保と見分けたとたん、笑顔になった。
「こんにちは」
 ああ、もう……。 保はうっとりした。 同時に、またヒゲを剃り忘れたこと、髪に寝癖がついたままなこと、そしてまたも古着を着ていることに思い当たり、寒いのに背中に汗が出てきた。
「買い物?」
 やっこらさと重そうなバッグを持ち上げながら、円香は苦笑した。
「ええ、キャベツとトマトの特売で、どうしても欲しかったから」
 その仕草に、保はパッとひらめいた。 おでんなんかもうどうでもいい。 もっと仲良くなれそうなチャンスだ!
「重そうだ。 持つよ。 ここからじゃ三百メートルぐらいあるし」
「え? でも買い物は?」
「もうすませたから」
 保はウソをつき、嬉々として円香の手からエコバッグを受け取った。






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