表紙目次文頭前頁次頁
表紙


7 住み込んで



 円香はゆっくり後ろ手に通用門を閉めると、長ほうきを胸に抱いて、ぼうっと寄りかかった。
 あの人、よかった〜って言ってくれた。 とても優しい眼をしてた。 会社に行くときには、あんな服装してるんだな。 かっこいい。 もう一度ならんで歩いてみたい!
 そう思ったところで、夢から覚めた。 自分は会社を首になったばかり。 昨日の午後から大垣家のヘルパー兼話し相手になった感じだが、むしろ喜ぶ蔦野さんのお客あつかいで、好きなこと何でもしていてね、と言われるのんきな立場だ。 それにしても、あんな立派な家のお坊っちゃんとは釣り合わない。


 昨日の午後、わずかな身の回り品をバッグに詰めて、再び大垣邸にやってきたとき、円香は試しに数日だけ泊まるつもりだった。 長い間一人暮らしだった蔦野さんが、いくら自分から望んだとはいえ、赤の他人との暮らしになじむかどうかわからない。 だから、うまくいかなくなったら戻れるように、住んでいるアパートの契約はそのままにしておいた。


 ささやかな荷物は離れに置かせてもらった。 蔦野さんがどう思うにしろ、給料をくれるというのだから客ではない。 けじめはきっちりつけないといけない。
 客室を掃除して待っていたらしい蔦野さんは悲しんだが、円香は掃除道具を借りて、少し埃のある離れをきれいにして、布団を庭に干した後、植木を鑑賞しながら、さりげなく隣との境界線まで出かけた。
 立派な塀の向こう側に、大きな二階家が見えた。 大垣邸ほど広くはないが、庭面積も相当ありそうだ。 二丁目はお屋敷が多い山の手区画で、上矢家(ジョーヤという苗字をどう書くのか、その日やっとわかった。 表札を見たのだ)もなかなかの邸宅だった。


 蔦野さんは一人で何でもできた。 ずっとそうやって暮らしてきたのだから、当たり前といえば当たり前だ。 しかも料理の上手なことといったら、目を見張るばかりだ。  いい生活をしていたお嬢さん育ちなので、和食はもちろん洋食にも詳しく、小さなワインセラーまで持っていた。
 昨夜は円香の歓迎会みたいになって、ローストビーフに蟹サラダ、フランス風の野菜煮込みという凄い献立だった。 どれも見栄えだけでなく味もよく、円香は大喜びで、すべて完食した。 幸いなことに太らない体質だ。
 円香の食べっぷりに蔦野は眼を細めて喜び、ますます気に入った様子だった。
「私ね、偉そうに言いたくはないけれど、ダイエットは体にによくないと思うの。 特にこれからの季節は、食べないと冷えるでしょう? どうぞたくさん召し上がってね。 お代わりもあるわよ」
 さすがにそれは遠慮したが、身も心も温まる夕食だった。


 離れの和室で寝付くまでに少し考えて、円香はここで何をするか決めた。 蔦野さんの孫の代役を務めよう。 つかず離れず傍にいて、できれば料理や家事の仕方を教わろう。 円香は年長者が好きだった。 年上は苦手という若者が増える中、親を一度に失って祖父母に育てられた円香は、むしろ年長者のほうが話しやすかった。







表紙 目次前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送