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131 愛は複雑で
トマス一家を乗せた馬車が到着して二分も経たないうちに、薄黄色の砂岩でできた屋敷の角から小さな集団が走り出てきた。 先頭に立つのは、見事な金髪をしたヘレナとハリーの長男、トミーだった。
寄り添って握手したり抱き合ったりしている大人たちの間から、トミーはすぐアーサーを見つけ出した。 濃い茶髪と大きな灰色の眼をしたのアーサーは、父トマスの手が届かない場所まで遠ざかって、立派な黒の革靴をこっそり脱ぎ捨てようとしていた。
目が合うと、トミーはにやっと笑い、馬車の後ろに回りこんでアーサーを手招きして呼び寄せた。 顔を合わせるのは約一年ぶりだが、去年の夏に二人で組んで、ブライトンの明るくおしゃれな街角や海岸でさんざん遊びまわった思い出は、少しも薄れていなかった。
紐を解いて脱いだ靴の片方を手に持ち、まだ履いたままの足でぴょんぴょん飛びながら、アーサーも馬車の裏手に来た。 二人は特に挨拶もなく、昨日会ったばかりのように話しはじめた。
「とうとう作ってもらったんだよ。 木の上の家。 やっとお父様が許してくれてさ」
「ふーん」
気のない様子で返事した後、アーサーは下を向いて、残りの靴の紐をほどき、足を振って飛ばした。 実はうらやましくてたまらなかったのだ。 前から庭の栃の木に隠れ家を作ってほしいと父に頼んでいたのに、いまだに許可が出ない。 母が体を弱くしてから心配性になって、ただでさえ乱暴な遊びの好きな息子が大木から落ちて怪我をしたら、と不安がっているからだった。
トミーは賢そうな目を友に向けた。 そしてさりげなく誘った。
「行こう。 階段とすべり台がついてて、いろんな遊び方ができるんだよ。 リリーだって上れるんだ。 ただし、下のほうの家だけどな」
「二つもあるのか?」
女の子なんてうんざりだ、と思いながら、好奇心にかられてアーサーは尋ねた。 ここぞとばかり、トミーは樹上の家のすごさを宣伝した。
「枝の上だけじゃない。 根元にもあるんだ。 藁ぶき屋根で、丈夫に作ってあるから上に乗っても平気なんだよ。 そこは雨の日の遊び場にしていいし」
もう、うらやましくて溜息が出そうだった。 不機嫌になりかけたアーサーに、トミーが囁いた。
「ああいうのなら、君のお母様も作っていいって言ってくれるよ。 プリシラはおとなしいから、木の家なんてほしがらないだろう? 君がぜんぶ自分で使えるぜ」
アーサーの口が丸く開いた。 ようやくトミーがほのめかしていることがわかった。 できるだけ安全な小屋を作ったから、それを参考にトミーの家にも作らせてもらえと言っているのだ。
とたんに元気百倍になって、アーサーはトミーをせきたてた。
「早く行こう!」
トミーは駆け出していきながら、振り向いた母に呼びかけた。
「アーサーと一緒に『クルーソーの家』に行ってきます!」
ヘレナは笑顔で手を振った。 わざわざ注意してねと念を押したりしなかった。 トミーはハリーとヘレナが相談しながらしっかりと育てた長男で、性格もハリーに似て思いやりがあり、まだ七歳になったばかりなのになかなか頼もしかった。
兄たちが元気よく走っていくのを、妹のリリアンが目で追っていた。 兄と二つ違いのリリアンは、活動的なおしゃまさんだ。 今のところ一人娘で、夫妻に目に入れても痛くないほど可愛がられていた。
少々甘やかされているにしても、リリアンだって気配りのできる子だった。 プリシラが一人でぽつんとしているのを見て、兄の後を追うのをあきらめ、スキップしながら近づいていった。
「プリス!」
プリシラはすぐ振り向いた。 淡い金髪と春の空のような青い瞳をして、柔らかなレースつきの白いドレスをまとっている姿は妖精のようで、今にも空気に溶けて消えてしまいそうに見えた。
「リリー、こんにちは」
きちんと挨拶するのがプリシラらしい。 リリアンはお構いなしに手を取ってしっかりつなぎ、日陰のある玄関へ急いだ。
「疲れた?」
「私はだいじょうぶ。 でもお母様が途中で、気分が悪くなって」
プリシラのすっきりした眉がかげる。 リリアンは同情して、つないだ手に力をこめた。
「はやく元気になれるといいわね。 お部屋に行く? それとも台所を覗いて、クッキーかブルーベリーパイをもらう?」
この屋敷は庶民的で、子供たちに使用人と親しくしてはいけないなどという決まりはなかった。 その点はトマスのほうが堅苦しく、ヴァレリーも夫に合わせているので、プリシラは少しためらった。
それでもお菓子の誘惑には逆らえなかった。 二人は視線を交わして微笑み、軽い足取りで廊下の奥に消えた。
玄関脇に残った子供たちは、リーダー格のトミーが行ってしまったので、男の子と女の子に分かれて別の遊びを始めた。 その近くに、園丁のフィルと掃除係のナンがなにげなくたたずんでいる。 彼らは園遊会の会期中、客の子供たちの護衛を務めていた。
双子がどちらもヘレナの子供たちに面倒を見てもらっているので安心したトマスとヴァレリーは、ヘレナと連れ立ってゆっくり屋敷に入っていった。 ヴァレリーは出産のときに産褥熱〔さんじょくねつ〕にかかり、トマスがあらゆる手段を尽くして何とか生き延びたものの、それ以来子供に恵まれなかった。 だから二人にとってプリシラとアーサーは文字通りの子宝で、どうしても過保護になりがちだった。
「アーサーはいいの。 元気すぎるくらいだから。 でもプリシラが心配で。 あの子は敏感で、私が倒れないかどうかいつも気にしていて、無理に自分を抑えているような感じなの」
ヘレナはいったん口を開けてから、思いなおして閉じた。 ヴァレリーがいつまでも弱々しい原因は、見当がついていた。 それはずばり、夫のトマスだ。 これまで診察した医者たちが口をそろえて、もうヴァレリーにはどこも悪いところはないと言っているのに、トマスは信じようとしなかった。 そして、強い運動を禁じ、刺激するようなものはすべて妻から遠ざけた。 たまの買い物にはほとんど常に付き添って、少しでも疲れると抱き上げて馬車に乗せた。
大事にしすぎなのだ。 でも周りはなかなか注意できなかった。 トマスは有力な貴族だし、もともと威厳があって頑固だ。 そして、ずっと孤独だった。 やっと手に入れた幸せな家庭を、何がなんでも守ろうとする気持ちは、ハリーとヘレナにもよくわかっていた。
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