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アンコール!  128 誕生のとき



 始めに時計で測ったときは、まだ痛みの間隔が二十分以上あった。
 だが一時間半ほどすると急速に狭まり、ジーンがすぐ産婆を呼びに行かせた。
 まだ夏の終わりだから、五時でもまだ外は明るい。 寝巻きに着替えて用意をしながら、ヘレナは何度も寝室の窓から小道を見下ろして、ハリーの乗った馬が来ないか確かめた。


 ハリーが帰宅したのは、夕闇のせまる午後九時過ぎだった。 鋭い彼は、普段はまだこの時間に点いていないはずの灯りが寝室に見えるのに気づき、急いで馬を下りると玄関から飛び込んだ。
 すると、すぐに居間のドアが開いて、緊張した顔の傍仕えコーディーが出てきた。
「旦那様! 奥様が、あの」
 ハリーの髪が逆立ちかけた。
「どうかしたのか? まさか階段を落ちたとか?」
「いえ、とんでもない!」
 急いで説明しようとして、コーディーの口がもつれた。
「めでたいことで。 つまり、たぶんもうじき……」
「生まれるのか?」
 ハリーは首を絞められたような声を立てた。 驚くのは無理もない。 予定日まで後半月以上あるのだ。 だから今のうちにと思い、ロンドンへ行ってきたのだが。
「どうしよう」
 外出着のまま、帽子を取るのも忘れて、ハリーは手近な柱に寄りかかった。 いつもしっかりしているのに、不意を打たれたからか、別人のようにおろおろしていた。
 その様子を見て、今度はコーディーのほうがしゃんとなった。 こういうとき、自分が旦那様の助けにならなくてどうする! そう自らを励まして、決然とハリーに近づいた。
「まずお着替えをなさってください。 それから夕食を召し上がって、心静かにお待ちを」
「食事が喉を通るはずがないだろう? 妻が大変な苦労をしている最中なのに」
 そう言って耳を澄ませたが、何の音も聞こえてこない。 上はシンと静まり返っていた。
 男二人は顔を見合わせた。
 やがてハリーが弱々しく尋ねた。
「ずっとこんななのか?」
「いえ」
 コーディーの口元に固く皺が寄った。
「叫び声が聞こえました。 ときどきですが、こちらも苦しくなるような声で」
「くそっ」
 ハリーは顔をゆがめ、いきなり階段に突進しようとして、コーディーに抱きとめられた。
「お気持ちはわかります。 でも男は邪魔になるだけで、奥様にかえって心配をおかけしてしまいます。 それに、姉のときの体験ですが、初産は時間がかかるものでして、姉のモリーのときは丸一日かかって……」
 丸一日! ハリーは更に動揺した。 そんなに長く会えないなんて!
「離せ! ちょっと覗くだけだ。 一目でいいから」
「おやめください!」
 もみ合っている最中に、猫の鳴くような声がした。
 男二人は凍りついたように動きを止めた。
 次の瞬間、声は一段と大きくなり、疑いようがなくなった。
「……あれは、産声か?」
 心から安心して、コーディーはマリオネットのように頭を大きく縦に動かした。
「そうです、旦那様! おめでとうございます」
 そして、きつく締めていた腕を離した。 ハリーはよろめきながら階段に駆けつけたが、一段目につまずいてバランスを崩した。
 そのとき、二階の扉が開いて、満面の笑みを浮かべたジーンが、白い包みを宝物のように抱いて姿を見せた。 そして、段に手をついて見上げたハリーに呼びかけた。
「おめでとうございます。 元気で可愛い男の赤ちゃんですよ」






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