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アンコール!  124 運が巡って



 いわば面子の張り合いの上流社交界では、家柄が何よりも物を言う。 次には財力と交友関係の広さだ。
 トマスとハリーは旧家の生まれで、家柄は申し分なかったし、もともと財産家だ。 その上、ハリーは愛嬌があって人気が高い。
 トマスはどちらかという近づきにくい態度を取っていたが、結婚後はよく笑うようになり、いかにも幸せそうなので、友人たちが寄り付きやすくなった。 おまけにサイラスが美人妻の後見人というわけで、やがて相当な遺産が入ってくる。 にわかに重要人物として、下にも置かない扱いになってきていた。
 そこへもってきて、ただの女優と一緒になったと陰口を叩かれていたハリーも、実は北部の名門貴族と親戚になったという事実がわかって、ラルストン伯爵家、ハムデン子爵家共々、すっかり時の人だった。


 六月の半ば、毎日のように山と舞い込む招待状が盆に積み上がっているのを見て、ヴァレリーは見る前からげんなりした顔になった。
「もう夜会やお茶会は疲れたわ。 義理を欠きたくはないけれど、最近ちょっと胃の具合が悪いし。 きっと深夜に食べて、昼間遅くまで寝ているせいだと思うの」
 とたんにトマスが心配そうな顔になって、必要と不要に分けて屑入れにどんどん手紙を放り込んでいた手を止め、テーブルを回って近づいてきた。
「それはいけない。 すぐドレイク先生を呼ぼう」
 ヴァレリーは笑って手を振った。 働いていた頃には、風邪で目まいがしても笑顔で店に立っていたものだ。 たまに胃痛や吐き気があるぐらいで、いちいち騒ぐ気にはなれなかった。
「そんな大変なことじゃないの。 お医者様なんてぜいたくよ」
「ああヴァレリー、もう節約なんか考えなくていいんだ」
「私は考えるわ。 未だにドレスの請求書を見るたびに倒れそうになるもの。 気の毒なトマス、結婚したばかりにこんな大金が必要になるなんてって」
「どんなに綺麗でも僕は着られないのにって?」
 一瞬、トマスがイブニングドレスを着て突っ立っている姿を二人とも想像して、同時に吹き出してしまった。
 優美な絹のドレッシングガウンをまとった妻を軽々と抱き上げると、トマスは頬ずりして囁いた。
「誰と結婚してもドレスは要る。 それどころか、普通の奥方は夫が反対しても、次々と服を買いたがるものだ。 なのに君は節約を考える。 理想の妻だよ」
 腕に抱いたまま長いキスをした後、トマスはヴァレリーをそっとソファーに降ろして、わざと厳しく言った。
「でもこれは、僕のいうことを聞きなさい。 ドレイク先生に来てもらう。 逃げちゃだめだよ、絶対に」


 ハムデン子爵家でも事情は似たようなものだった。
 しかし幸い、こちらには招待を断る口実があった。 ヘレナのお腹がだんだん目立つようになってきたのだ。
 上流婦人は表向き、妊娠などという言葉は口にしない。 体型が変わりはじめると外出を控えるか、地方にある屋敷に引っ込み、赤ん坊はコウノトリが運んできたような顔をして、半年ほど経ってから復帰する。
 ヘレナだけでなくハリーも、このときを楽しみにしていた。 これでいよいよ、堂々と‘ハンフリーズ家’に戻れる。 ロンドン近郊のわりには、のどかな景色とおいしい空気が一杯で、気心の知れた普通の人々に混じって暮らせる居心地のいい農家に。
 荷造りを済ませ、週に一、二回通っていた小間物店を安心してキャスに任せて、ヘレナは寝室で最後の点検をしていた。 すると、ハリーが手紙の束を持って入ってきた。
「大抵はいつものつまらない招待状だが、ヴァレリーからのが今届いた」
「ありがとう」
 出発する前に昨日会ったばかりなのに、といぶかりながら、ヘレナはいそいそと手紙を受け取り、すぐ開いて読み始めた。 そして小声で叫んだ。
「まあ、ヴァレリーもおめでたですって!」





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