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アンコール!  122 親友の知恵



 ヘレナは納得して、伸び上がってハリーの口元にキスした。
「そんなときでも古着にしないで新品を揃えるなんて、いかにもあなたらしい。 きれい好きで」
 ハリーは戸惑ったような顔になった。
「古着? そうか、思いつかなかった」
 何というお坊ちゃん! ヘレナは彼にもたれかかったまま、くすくす笑った。
「はっきり言って無駄遣いだと思うわ。 これからも服を増やすなら、私に言ってね。 新品みたいな古着を半値、いえ三分の一の値段で手に入れるから」
「もういいんだ。 言っただろう? 諜報員はもう辞めた。 これからは郊外で農場をやって暮らしたい」
「ハンフリーズ氏として、でしょう?」
「いや」
 ハリーは眩しそうに眼をこすると、ヘレナを抱き寄せて頭に顎を載せた。
「そろそろ本名を名乗るよ。 ジーン(家政婦のドーソン夫人)は初めから知っているしね。 君を奥方として、近所のみんなに紹介するんだ。 うらやましがられるだろうな。 こんな美女を妻にできて」
「ハンフリーズ夫人としての私を知ってる人も、何人かいるわ」
 ヘレナがぎこちなく言っても、ハリーは平気だった。
「結婚すれば、みんな大目に見てくれるさ。 特権をひけらかすのは嫌いだが、君のためなら少なからぬ財産を持った貴族として、嫌な人間には大いに睨みをきかせて黙らせてやるよ」
 そうね、あなたならきっと守ってくれる。
 ヘレナは顔をうつむけ、額を彼の胸に押し付けながら、胴に巻いた手にいっそう力を篭めた。


 抜け目のないハリーは、早くも翌日からヘレナの社交界デビューの準備に取りかかった。
 一番に参考にするのは、もちろん親友ヴァレリーの成功だった。 彼女は自分の式の後に行なった披露宴で、親族の有力夫人に紹介され、彼女たちのつてで芋づる式に上流社会での知り合いを増やしていた。
 トマスが妻にべた惚れなのは誰の目にも明らかだったため、ヴァレリーを粗末に扱う勇気のある紳士淑女はいなかった。 そもそも最近では、アメリカから財産持ちの成金娘たちが大勢やってきて貴族たちと結婚していたので、すでに家柄をどうのこうの言う声は弱くなっていたのも、ヴァレリーに幸いした。
「ヘレナなら私よりずっと上手に振舞えると思うわ」
と、ヴァレリーは太鼓判を押してくれた。
「私はつましい聖職者の娘で、舞踏会といえば慈善パーティーやクリスマス行事しか知らなかったの。 だから特別にお作法やダンスの先生が必要だったけど、ヘレナは舞台でお姫様だって堂々と演じているし、いざとなれば名門貴族の親戚がいるって言ってやれるもの」
 ハリーはためらい、首をかしげた。
「ヘレナは侯爵一族にはいっさい関わりたくないとがんばっているんだが」
 ヴァレリーはかわいらしく笑い、自邸の心地よい居間でくつろいで、一緒にプチケーキをつまんでいるトマスを振り返った。
「ヘレナは何もしなくていいの。 舞踏会場のどこかで誰かがそっと呟けばいいのよ。 実はあのレディはウィンドメア侯爵の正式なお孫さんで、ってね。 ぜったい秘密にして、と念を押せば、あっという間に噂が広がるわ」
 トマスがマジパンを皿に散らして吹き出した。
「おいおい、君も策士になったなあ」






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