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アンコール!  117 知らされて



 翌日の朝、十時前に、ハモンド子爵家の従僕がラルストン伯爵邸を訪れ、一通の封書を届けた。
 その半時間後に起き出してきた屋敷の主人のトマスは、白いシャツに茶色のジャケットというくつろいだ姿で、あくびをしながら階段を下り、玄関広間に通りかかったところで、執事と出会った。
「おはよう、グレシャム」
「おはようございます、御前様」
 きまじめな表情のままで、グレシャムは銀の盆を差し出した。
「昨夜から今朝にかけての分でございます。 一番上のものは、つい先ほどハモンド卿のお宅から届きました」
 眠そうだったトマスの目が、たちまちぱっちりと開いた。
「ハリーがわざわざ手紙を?」
「さようでございます」
「ありがとう」
 手紙の束を掴んでジャケットのポケットに入れると、ハリーの封書だけ手に持って、トマスは急ぎ足で朝食用の小食堂に向かった。


 さらに半時間後、絹の寝具に半ば埋もれて二度寝を楽しんでいたヴァレリーは、ベッドの右側が急に凹んで体が斜めになったので、夫が横に座ったことに気づいた。
 眩しそうに薄目を開けると、すぐ頬に音を立ててキスされた。 そしてマットレスが二度も大きく弾んだ。
「どうしたの? 飛び跳ねてるの?」
「いや、座りなおしただけだ。 でもジャンプしたい気分だよ」
 笑いを含んだ声が返ってきた。
「読むから聞いてくれ。 『ヘレナと会った。 すべて許してくれたので、今日の午後、こちらの自宅で挙式するつもりだ。 君達夫妻にぜひ来てほしいが、都合が悪くても延期はしない。 ハリーより』」
 ヴァレリーの眠気は吹き飛んだ。 大慌てでベッドからすべりおり、着替え室へ走り出した。
「たいへん! もうお昼近くよね? どのドレスにしよう。 ジョセフィンに頼んで髪を上げてもらわなくちゃ」
「その前に、何かお食べよ。 向こうでお腹がグウと鳴ったらまずいだろう?」
 のんびりベッドで肘を突いている夫のもとへ、ヴァレリーは身をひるがえして戻ってきて、口を尖らせた。
「あなたはもう食べたのね。 バターの匂いがするわ」
 トマスは笑いながら仰向けになった。
「そうさ。 食べながらこのそっけない手紙を読んで、大いに笑った。 ついにハリーも年貢の納め時なんだな」
「結婚は墓場だと言いたいの?」
 ヴァレリーがちょっとすねてみせると、トマスはぐいと腕を伸ばして妻を抱え、自らの体の上に乗せて答えた。
「いや、天国と地上を行ったり来たりさ。 心配が二倍、そして喜びも二倍」
「いいえ、喜びは二倍だけど、心配は半分よ。 私はあなたに何でも話せる。 辛いときには頼りにできる。 たとえうまい解決法が見つからなくても、あなたにこうして寄りかかっているだけで心が安らぐの」
 なめらかに筋肉のついた夫の体に添って横たわりながら、ヴァレリーは彼の胸に耳を当てて、しっかりした鼓動を聞いた。
「ねえトマス、私があなたをすごく好きかもしれないって、知ってた?」
 妻の肩を覆う絹のような手触りの長い髪を掻き乱して、トマスは微笑んだ。
「そうなのか? ちっとも知らなかった」
「じゃ、あなたが私を好きだといつからわかってた?」
 彼の笑顔が引っ込み、真剣な眼差しが取って代わった。
「いつからかな。 たぶんヴォクソールでウェイヴァリーの奴が、君とヘレナを軽く見たときかな。 不意に目の前が真っ赤になって、殴り倒していたんだ。 ヘレナはずいぶんびっくりしていたよ」
「みんなで気球を見た、あの日ね」
 ヴァレリーは夢見るように囁いた。
「あのときは幸せだった。 あなたもハリーも本当の紳士で、私達に優しかった。 いい思い出になるって、ずっと考えていたわ」
「ただの思い出にはならないさ。 ハリーが力業でヘレナを獲得したらしいから、また四人で出かけられる。 そうだ、ピクニックなんかどうだい?」
「楽しそう」
 うっとりしていたヴァレリーは、時計が半を告げる音で現実に戻って飛び上がった。
「ピクニックの前に、まず結婚式よ! 食べてる時間がないから、馬車の中でビスケットでもつまむわ。 さあ着替え、着替え!」






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