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アンコール!  112 騒いだ後は



 一人で帰る静かな車内で、ヘレナは祭りの後の寂しさを噛みしめていた。
 見違えるように明るくなったトマスを見ていると、どうしてもハリーの優しさを思い出してしまう。 それでもヴァレリーの打ち明け話によると、新婚旅行の当初はずいぶん我慢したそうだ。
「何でもさっさと決めてしまって、たまに私に知らせるのも忘れるの。 ずっと一人で生きてきたから、相談するという習慣がなかったのね。 だから根気よく頼んで、少しずつ直してもらったわ。 なだめすかしたり、時には本気で怒ったり、けっこう大変だった」
「馬の調教と同じね」
 ヴァレリーは噴き出し、ヘレナの膝を叩いた。
「トマスを馬だなんて。 でも、たとえるならロバに近いかも」
 二人は声を合わせて笑った。 化粧室だから、何を言っても男性たちには聞こえない。
「そんなに頑固?」
「ええ、たぶんサイラスより頭が固いわ」
「サイラスさんは見かけよりずっと融通がきくわね。 あの人には本当によくしてもらったの」
 ヘレナはしんみりとなった。 するとヴァレリーは真面目な顔になって、強く首を振った。
「お祖父さんは……あなたの前だからそう呼べるけど、ずっと死んでいたようなものだった。 あなたのおかげで生き返ったんだから、すごく感謝していると思うの。 だから喜んで世話をしたいのよ」
「私のせいじゃないわ。 あなたがこの世にいたから」
「じゃ、私たち二人のおかげだということにしておきましょう。 ともかく、あなたがきっかけになったのは間違いないわ」
「つまり、サイラスさんは眠り姫で、私たちは王子様の役?」
 ヴァレリーはまた笑わずにはいられなかった。
「まあヘレナ! お祖父さんがドレスを着て古い城でイビキをかいているところを想像しちゃったじゃないの」
 それからも2人はなかなか話を止められず、半時間もねばってトマスとサイラスにあきれられた。


 友達はいいものだ。 近くにいるのだからしょっちゅう会おうと約束したが、帰り道で考えてみると、難しかった。 ヴァレリーはれっきとした伯爵夫人で、嫌でもこれから社交が忙しくなる。 そしてヘレナのほうは、店と子供で更に手が離せない。 身分と立場が違うと、こんなにややっこしくなるのか、と、ヘレナは改めて実感した。








 翌日は、春を思わせるぽかぽか陽気だった。
 前夜、真夜中過ぎまで起きていて寝不足だったが、ヘレナはちゃんと朝早くから起き出して、いつもの時間に店を開けた。 すると気候のせいか、いつも以上に客が次々と押し寄せ、午後の二時過ぎまでまったく客足が途絶えず、昼食を取る暇もない盛況になった。
 しかし、人の出入りは不思議なもので、二時半を過ぎると潮が引いたように誰もいなくなった。 そこでヘレナは見習いに雇ったキャス・モーガンに店を任せ、上階にある自分の部屋で遅い食事を取ってくることにした。
 階段は裏手についている。 ついでにごみを出しておこうと裏口を開けたとき、狭い路地の物陰から一人の男が現れた。
 その姿を見たとたん、ヘレナの手からごみ入れが落ち、地面に当たって乾いた音を立てた。





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