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アンコール!  111 先を考えて



 真夜中に、奇妙な晩餐会はお開きになった。 ヘレナについての深刻な話し合いの後、サイラスが半ば強引に話題を変えてヴァレリーたちの新婚旅行に持ち込み、ヘレナも喜んで耳を傾けたため、時間が飛ぶように過ぎて遅くなったのだ。
 食堂から出て居心地のいい応接室に落ち着いて数時間。 マイセン陶器の時計がやわらかい音で零時を知らせて、ヘレナは我に返った。
「もうこんな時間? 私はそろそろ帰らないと」
「すぐ馬車を用意させるよ」
 サイラスが素早く言った。 するとトマスが残念そうに声を出した。
「うちの馬車は余裕で四人乗れますよ。 送っていきたいと思ったんですが」
「それはまた、この次にしよう」
 そう答えて、サイラスはヘレナの眼を見た。 ヘレナも無言の問いに応じて、小さくうなずいた。 店のあるウィーバー通りは、貴族の豪華な馬車が入るような場所ではない。 夜中でも誰かに見られれば変に思われるだろう。


 それから、ヘレナはヴァレリーに伴われて化粧室へ行った。 鏡の前でほつれたカールを直した後、ヴァレリーは丸椅子の上で体を回して、ヘレナの手を取った。
「気を悪くしないでね。 私の目には、あなたが変わったように見えるの」
 ヘレナは肩にかけた薄いレースのショールを空いた片手で直しながら、できるだけ自然に微笑んだ。
「そう?」
「ええ。 もしかすると、半年後くらいに……?」
 言いよどんだヴァレリーから、思わず視線が外れた。 体形が変わったのを、見破られていたのだ。 できるだけばれないようにドレスを工夫し、ショールでごまかしていたにもかかわらず。
 ヘレナはフランス式に小さく肩をすくめ、白状した。
「あと五ヶ月よ。 とても順調なの」
ヴァレリーの重ねた手に力が入った。
「それでハリーは? あの人は一人ぼっちなのよ。 家族が欲しいんじゃないかしら」
「独身は気楽だって、よく男の人は言うじゃない」
 ヘレナは無理に軽くいなした。 だが、いつもは引っ込み思案なぐらい主張しないヴァレリーが、珍しく言い続けた。
「そうかもしれない。 でも違うかもしれない。 彼にも事情を話して、選ばせてあげれば?」
 不意に激しく言い返しそうになって、ヘレナは言葉を呑み込んだ。
 決まってるじゃない! ハリーは責任を取るほうを選ぶわ! そして私は、彼の首にぶらさがる重石になる。 それじゃ二人とも、いえ、子供も入れて三人とも不幸じゃないの!
 そう叫ぶ代わりに、ヘレナは両手で友の手を包んだ。
「あなたが心から幸せで、安心したわ。 私もいつか、そうなりたいの。 近所で羽振りのいい服地店をやっている人がいてね、私を未亡人だと思って親切にしてくれるのよ。 誠実で、いい人なの」
 これは本当の話だった。 ハサウェイ服地店兼仕立て屋を親の代から開いているグレアム・ハサウェイは、三十二歳のしっかりした男性で、ヘレナが店を持った当初から、同じ町内として親切にしてくれた。 そして最近では、さりげなく好意をほのめかすようになっている。 グレアムは女優時代の仲良しヘンリーに雰囲気が似ていて、ヘレナのほうも彼と話すと楽しかった。
 あまり親しくなりすぎてはいけない。 そう思って、一週間ほど前に彼に打ち明けた。 『夫』の残した子が後数ヶ月で生まれるという事実を。 するとグレアムは、驚かずに答えた。
「実は知っていたんだ。 近所の奥さんの間で話題になってるよ。 わたしもやもめだが、死んだかみさんとの間に子供はできなかった。 二人ともそりゃあ欲しかったんだがね。 子供のいる家は、いいもんだ」
「自分の子なら、確かにかわいいでしょうけど」
 ヘレナがそう応じると、グレアムは首を振った。
「血のつながりだけが縁じゃないさ。 わたしを見てくれ。 貰われっ子だが、親父が親身になって仕込んでくれたおかげで、なんとか店を切り盛りしていける」
 その思いがけない言葉で、ヘレナはグレアムを新しい目で見るようになった。 そして、いつかグレアムが申し込んでくることがあったら、受けるかもしれないと思いはじめていた。





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