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107 晩餐会にて
ラルストン伯爵夫妻、つまりトマスとヴァレリーが長い新婚旅行を終えて、ようやくロンドンに戻ってきたことを、ヘレナはその日の夕方に聞いた。 サイラスが使いをよこして、知らせてくれたのだ。
二人が無事に帰ってきてよかった、と、ヘレナはほっとした。 イギリス国内は、ナポレオンが倒れて以来かつてないほど平和で落ち着いているが、ヨーロッパは革命の余波であちこちがきしんでおり、一触即発の危険地帯も多いからだ。
知らせの紙は、招待状も兼ねていた。
『……店が繁盛していて何より。 ついては、たしか明後日の火曜日は、月に二度の定休日のはず。 都合がよければ夜の八時に我が家へ来られたし。 馬車を迎えに出して新しい料理人に晩餐を準備させておく』
晩餐? では他にも招待客がいるのだろうか。
ヘレナはびっくりして、少しの間考えがまとまらなかった。 屋敷へ正式に招待されるだけで驚きなのに、晩餐会なんて!
サイラスは恩人だから断ることはできないし、そんな気もなかった。 彼は本当に親切で、半月に一度は顔を見せて店の具合を尋ね、新米店主が元気にやっているか、仕入先からぼられていないか確かめる。 近所に怪しまれないよう夜遅く裏口から来る彼のために、ヘレナは最上等のコーヒーを買って用意していた。
折り返し承諾の返事を持ち帰ってもらった二日後、約束のとおり小型の目立たない馬車が、ヘレナの店の前に止まった。
新しく買った深みのあるワインカラーのドレスとクリーム色のケープをまとって、ヘレナはその馬車に乗り込んだ。 御者は顔見知りのゴライアスだった。
しばらくぶりに見るサイラスの屋敷は、もう不気味な影ではなかった。 門は大きく開かれ、玄関の両脇では赤々と火が灯って、見違えるように修繕された建物の正面を明るく照らしていた。
「すっかり修理が終わったのね」
ゴライアスの手を借りて馬車から降りながら、ヘレナは新築さながらになった屋敷に見とれた。 ゴライアスは自分の家のように自慢そうな顔になって説明した。
「正面だけでなく、部屋の中も庭も直したんだ。 庭はパクストンとかいう男の弟子に設計させてね」
はあ── ヘレナは感心した。 きっとそのパクストンとやらは有名な造園家なのだろう。
しかし相変わらず、サイラスは執事を雇っていなかった。 ゴライアスが部下に馬車を片付けさせた後、自分でヘレナを案内して中に入ると、ちょうど階段を下りてきた女性が悲鳴のような声を上げて駆け下りてくるなり、夢中でヘレナに抱きついた。
「ヘレナ、ヘレナ! 無事だったのね!」
それは藤色の優雅なイヴニングで着飾ったヴァレリーだった。
二人は泣いたり笑ったりしながら幾度も抱き合い、お互いを確かめあった。
「ヴァレリー、あなたすごく綺麗!」
「それはあなたのほうよ。 なんて素敵なドレス! きっと舞台で成功したのね」
その言葉にハッとして、ヘレナは親友を見返した。 サイラスはまだ何も孫娘に打ち明けていないのだ……。
やがて階段の途中から、トマスの深みのある声が降ってきた。
「何てことだ、ヘレナじゃないか!」
続いて飛ぶように降りてきて、彼はヘレナの手を固く握った。
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