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アンコール!  106 新しい情報



 春のロンドンは社交シーズンたけなわだ。 これから初夏まで華やかな催しが続く。 そんな時期に誰よりも重宝がられるのが、ハムデン子爵ことハリー・ハモンドなのだ。
 彼は明るくて罪がなく、冗談を言って場を盛り上げるのが実にうまかった。 上流婦人たちの願いにも気さくに応じてくれる。 だから壁の花になりそうな社交界デビューの令嬢と踊ってやってくれとか、ブリッジ(トランプ遊び)の人数が足りないので来てくれとか、気軽に頼むことができて、パーティーを成功させるのに一役買っていた。
 気楽な駒鳥のようにふるまっている彼にも、実は心の闇があったことを知っているのは、トマスだけだった。 それで急いでヘレナを探させたのだが、うまくいかない。 トマスは焦っていた。


 ハリーの屋敷は、外から見たところ何の変わりもなかった。
 トマスが玄関前の階段を駆け上がってノッカーを叩くと、すぐ従僕のフレッドが扉を開け、ついで執事のペイトンが姿を見せた。
「これは伯爵様、お帰りなさいませ」
 二人とも落ち着いている。 ハリーに何か起きているわけではないらしいと知って、トマスは少し安心した。
 フレッドに帽子とコートを渡すと、トマスはすぐペイトンに尋ねた。
「ハリーはいるかね?」
「はい、今は図書室に」
「ありがとう、すぐ行ってみるよ」
 親友だから案内は頼まない。 トマスはさっさと廊下を歩いていった。


 貴族の中には見栄で図書室を作る者もいて、金表紙の本をセットで買い込んで飾りにしたりするが、ハリーの書物好きは本物だった。 祖父の代から使われているこの屋敷で、一番金がかかった部屋かもしれない。 天井が高くて吹き抜け付きの二階建てになっており、上の本棚にはとても手が届かないので階段がついていた。
 その段の途中に、ハリーが座っていた。 脇には本が数冊乱雑に置かれており、交互に手に取っては調べ物の最中だった。
 トマスが近づくと、彼は目を上げて、やあ、と言った。 まるで昨日別れたばかりのような口調だった。
「帰ってきたよ」
 トマスも淡々と告げた。 ハリーは薄く微笑み、ゆっくりと立ち上がった。
「奥方と喧嘩しなかったらしいな。 幸せ太りしているように見えるぞ」
 トマスは視線を落とし、腹回りを眺めた。
「そんなことはないさ。 いつもの服がちゃんと入るから。 それに喧嘩のほうだが、たまにはやった。 原因は、おれが買い物をしすぎること」
「へえ、奥方じゃなくてお前が?」
 ハリーは声を立てて笑った。 そのとき初めて、トマスは友が変わったのに気づいた。 見かけは以前と同じなのに、笑い声にはいつもの弾けるような明るさが失われていた。
「ヴァレリーはつつましやかな人だな。 ふつうは旅に出ると気が大きくなって、ついいろいろ買い込むものだが」
「ヘレナはどうだった?」
 思い切ってトマスが口に出した。 ハリーはほとんど表情を変えなかったが、目元だけがわずかに険しくなった。
「どうだろう。 すぐ田舎に隠したんで、金を使う場所がなかった」
「すまん、まだ彼女を見つけられないんだ」
 トマスが潔く詫びると、ハリーは首を振って、持っていた本を近くのテーブルに置き、そのまま手をついた。
「おまえたちが旅に出ている間に、こっちもできる限りの手を打った。 今は結果待ちしているところだ」
「じゃ、おまえも捜索隊を出したのか?」
「いや、ヘレナの本名と親族を探り当てた」
 トマスは驚いて、まじまじとハリーを見つめた。
「どうやって?」
「名前のほうは、もともと一部を知っていた。 父親がベルと呼んでいた。 親族のほうは」  テーブルに置いた手に力が篭もった。
「アレンバーグの子分を見つけて締めあげたんだ。 マイキーというちんぴらだ。 そいつによると、アレンバーグはヘレナの父親と酒場で逢って、酔っ払いの愚痴から聞き出したそうだ。 彼が北部の名門の出で、親の家にヘレナを預けて育ててもらおうとしたが、門前払いを食ったことを」





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