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105 親友の異変
四月の半ば、既に水仙が咲き終わったころ、ようやくロンドンの館にトマスとヴァレリーが帰ってきた。
一緒に到着したのは、玄関ホールが一杯になる荷物の大群だった。 イタリア、スイス、オーストリアと回り歩いて、目ぼしい物を買いまくるトマスに、慎ましく育ったヴァレリーは半ばあきれていた。
「これでも、すぐ船に乗せることのできた品物だけなのよ。 注文品が後からどんどん届くわ。 皆さん運ぶのが大変ね」
ねぎらわれた執事のグレシャムは、いつもの無表情を崩さなかったものの、目の表情をなごませて頭を下げた。 最初ヴァレリーは、しっかりしていて威厳のありすぎるグレシャムを少し怖がっていた。 だが間もなく、彼が転んで足を痛めた従僕にすぐ気づいて、楽な仕事に移してやったのを目撃して以来、評価を変えて親しみを持つようになっていた。
「なにぶん大きなお屋敷ですので、置き場所に不自由はないと存じます」
「ええ、確かに。 それに家具のいくつかは私のために買ってくれたのだから、文句を言う筋合いじゃないんだけど」
「わたし共もこれを言う筋合いではないと思うのですが」
グレシャムは背筋を伸ばして、声を落とした。
「ご主人様はこれまで、人生の楽しみにお金をほとんどお使いになりませんでした。 今はどんなにお幸せかと推察いたします」
妻が執事と話を交わしているとき、トマスは荷物の手配もそこそこに家を出て、ハリーの元に向かっていた。
それは、帰りの船で一緒になったヴィクター・レッサーという学校友達から、気がかりな話を耳にしたためだった。
「君の結婚は大成功でよかったが、親友のハリー・ハモンドのほうはまずいことになってるようだな」
二人はそのとき夜の甲板で、白い波頭を立てる海を眺めながら話していた。 そこでハリーの名前が出たとたん、トマスは体を固くした。 新婚旅行中、唯一の気がかりは友のことだったのだ。
腕利きの部下に特別料金を払って頼んだにもかかわらず、ヘレナは年を越しても見つからなかった。 主な劇場はすべて調べ、イギリスへ遠征興行していたニューヨークやウィーンの劇団にまで問い合わせたのに、新しく参加した女優の中にヘレナらしき者は一人もいないという。 そもそも彼女がどういう手段でロンドンを出たのかさえ、まったくわからないままだった。
ハリーに知らせることが何もないまま、日にちだけがいたずらに過ぎ去っていった。 じれたトマスは、本国へ戻ったらすぐ自分の手で調べにかかろうと決めていた。
「ハリーが一体どうしたって?」
さりげなく訊くと、ヴィクターは葉巻をくゆらしながら話し出した。
「年の暮れからしばらく姿を見せなかったんだ。 社交界が閑散とする時期だから、珍しくロンドンを離れたのかなと思っていたんだが、人気者の彼がいなくて皆寂しがっていたよ。
それが二月の初めに戻ってきたら、別人のようになっちまった。 パーティー、午餐会、観劇に舞踏会、どれにもまったく出てこなくて、屋敷に閉じこもったきりだ。 修道僧にでもなったのかと、一ヶ月前に僕が出発したときには、かなりの噂だったぜ」
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