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104 切実な願い
その夜、ヘレナは久しぶりに寝台の横にひざまずき、神に祈りを捧げた。
寝室は、店の二階にあった。 店は長方形の箱のような形をした三階建てで、下には地下室もあり、厨房と倉庫に充てられていた。
素足で降りても冷たくないように、ベッドの脇に敷いた裂き織りのマットの上で、店の繁盛と無病息災を願った後、ヘレナは心の中で父母に語りかけた。
──お父さん、お母さん、結婚せずに子供を産むことになって、ごめんなさい。 私だって本当は、今と違う人生を望んでいたのよ。 でも、何かしようとするたびに邪魔が入って──
最大の邪魔は、遠くの親戚だった。 ヘレナは組み合わせていた両手をほどき、左の薬指に嵌まった指輪を、じっと見つめた。
それは栗の木屋敷で夫婦を装うとき、ハリーから貰った指輪だった。 いや、一時的に借りたというべきだろう。 彼の元を去った今は返すのが筋だが、未亡人といつわっているから必要だった。
あの親戚どもに少しでも情けがあったら──そう思わずにはいられなかった。 駆け落ちとはいえ、父と母は正式に結婚していた。 ヘレナはギルフォード家の嫡出子なのだ。 一度助けを拒まれた以上、二度と援助してくれとは言わない。 ただ放っておいてほしい。 彼らに妨害されないなら、一回だけ運を試してみたかった。
指輪から目を離さずに、ヘレナはゆっくり立ち上がって、ベッドの端に腰掛けた。
家庭が欲しい。 母が死んでから、いつもそう思っていた。 しかし父まで世を去った後は、生き抜くために半ばあきらめた。 女優はあまり尊敬される職業ではない。 そもそも女は、仕事についているだけで白い目で見られるのだ。
そんな弱みがいろいろあっても、ヘレナは栗の木屋敷の楽しさが忘れられなかった。 周りは皆あたたかく、『夫』が守ってくれて、外に出れば景色のいい散歩道がどこまでも延びている。 まるで夢のような環境だった。
あそこでお腹の子を育てることができたら。
ヘレナはぼんやりと指輪を撫で、曇りを拭った。 それが許されるなら、赤ん坊の首がしっかりするぐらいまでずっと傍にいて、その後は人を雇い、店と屋敷を行き来して育てよう。 ハリーは責任感の強い人だから、血を分けた子供をしっかり保護してくれるだろう。 将来のいつか、釣り合う誰かと結婚した後も。
だが、そう頼みたくても、今のままでは会いに行けない!
ヘレナは唇を噛んで、敷布団に拳をめりこませた。
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