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アンコール!  101 感動的な式



 トマスとヴァレリーの結婚式は、少ない参列者の前で行われた飾り気のないものだったにもかかわらず、客たちの胸に強い感動を残した。
 花嫁が美しかったのはもちろんだが、なにより目立ったのは、花婿がびっくりするほど花嫁に夢中になっていることだった。 祭壇の前に付添い人のハリーと待っていたトマスは、象牙色の絹に純白のレースを重ねたヴァレリーがサイラスと腕を組んで現れた瞬間から、目が釘付けになった。 傍目もはばからず、うっとりと見つめているその上気した顔に、威厳を持って歩いてきたサイラスさえ口元を緩ませた。
 サイラスはその日まで考え抜いた末、ヴァレリーの実の祖父だと公表しないことに決めていた。 だから、ヴァレリーの一家とは昔なじみなので、後見人を務めることにしたとだけ発表された。 それでも世間は相当驚いたが。
 巷〔ちまた〕では、老先短いサイラスがさすがに不安を覚え、トマスという立派な後ろ盾を手に入れた小娘を跡継ぎにして、面倒を見てもらう代わりに財産を残すことにしたと騒がれていた。 皮肉屋の中には、順番が逆でサイラスが後見人になったからこそ、トマスが結婚する気になったのだ、という者もいた。
 しかし、その日に式へ列席することのできた幸運な少数者たちは、トマスがヴァレリーを心から愛していると一目でわかった。
「あのいつも不機嫌そうだったトマスが、ふやけたように笑ってて、まるで頭から真っ逆さまに飛び込んだみたいにボーっとしてね。 片時も花嫁から目を離さないの。 ほんとにみっともないほどだったわ」
 気温が五度を切る今の時期にも珍しくロンドンを離れず、おかげで式に招待されたトマスの従姉妹のミランダ・カールソン夫人は、二日後の音楽会で知り合いの奥さんたちに、せっせとそう言いまくったものだった。


 ヴァレリーにとって、式は予想外に短く、あっという間に過ぎていった。
 笑顔のトマスに迎えられ、牧師の言葉を繰り返し、指輪を嵌められて誓いのキスをするまで、まるで空に浮かんで雲間をただよっているような気分でいるうちに終わってしまった。
──私、上がっているんだわ。 でも幸せ。 これでトマスとずっと一緒にいられる──
 一ヶ月前は憧れでしかなかった人が、今はぴたりと寄り添って腕を自分の肘にかいこみ、速度を合わせて歩いてくれている。 参列者の笑顔と祝福の声が全身を包む中で。
 ここにヘレナがいてくれさえしたら── それだけがヴァレリーの心残りだった。 いくら喜びに舞い上がっていても、指輪をトマスに渡すとき顔を上げたハリーの虚ろな眼の色に気づかないヴァレリーではなかった。
 誰も教えてくれないが、ハリーとヘレナは密かに結ばれたのではないかと、ヴァレリーは見当をつけていた。 それなのにヘレナは姿を消した。 そしてハリーは悲しんでいる。
 親友の自分にも黙ってヘレナが消えたことを、恨んでいないと言ったら嘘になる。 やはり式に来てくれなかったし。
 それでもヴァレリーは強く思っていた。 いつかまたヘレナに逢えたら、彼女の夢が叶うよう、できることは何でもするつもりだ。 そして、友達に戻ってくれることを願おう。






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