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アンコール!  99 苦悩の告白



「ど……どうしたんだ?」
 トマスは、うろたえて尋ねた。 横で傍仕えのエリオットさえ、びっくりして立ちすくんでいる。 それぐらい、激怒したハリーは怖かった。
 ハリーは唇を噛み、なんとかして落ち着きを取り戻そうとしていた。
「簡単に話せることじゃない」
 だが、やっと話す気になったのだ。 そう感じ取って、トマスはエリオットに目くばせした。
「ちょっと下がっていてくれ」
 あと少しでクラヴァットを締め終わるところなのに、と、エリオットは不服そうな顔になったが、それでもおとなしく部屋を出て行った。


「これで二人きりだ。 さあ、説明しろ」
 トマスがわざとぞんざいに言うと、ハリーは部屋を突っ切って窓に行き、葉を落とした庭木に目を置いた。 横顔が半ば陰になって、げっそり年を取ったように見えた。
「覚えているか、二年半前のことを?」
 すぐトマスの口元に苦痛の皺が寄った。
「忘れるわけがない。 あの夏は、今度こそ死ぬと思った」
「だが、死ななかった」
「おまえの手配のおかげでな。 あの地下牢から脱出できるなんて、まさに奇跡だった」
「でも、いつ逃げてこられるかまではわからなかった。 だから船をずっと入り江に引き止めておかなきゃならなかったんだ」
 ハリーの右手が上がり、上等な窓ガラスに押し付けられた。
「雇ったごろつき達はじれて、文句を言い始めた。 そこへ、もっと騒動の種になりそうな二人連れが現れたんだ。 中年の男と若い女で、イギリスへ渡るんなら乗せていってくれと、必死で頼んできた」
 トマスの表情が動かなくなった。 彼もハリーほどではないが、相当勘がいい。 話の行き着く先が見えたような気がして、嫌な予感を覚えた。
 ハリーは外の景色に視線をすえたまま、感情を消した声で話し続けた。
「二人は追い詰められていたが、運賃にする金がなかった。 逃げる途中で使い果たしたんだろう。 女が俺の近くに来て囁いた。 抱かせるから連れていってくれと」
 反射的に、トマスは貯めていた息を吐き出した。 ハリーは、もう片方の手も上げて窓に張り付かせた。
「俺は密輸業者でございという芝居を止めるわけにいかなかった。 二人を置き去りにする手もあったが、おまえと仲間が来ないうちは船を出せない。 女が男に知られるのをひどく気にしていて、駆け落ち者に見えたんで、一度ぐらい寝ても忘れるだろう、むしろ時間稼ぎになってよかった、ぐらいに思った」
「その子が気に入ったんだな」
 トマスは混乱すると、考えなしに言葉を口にする癖がある。 ハリーはパッと顔を上げて、窓を激しく叩いた。
「やめろ!」
 鈍い音を立てて、ガラスにひびが入った。
 トマスは一歩退き、声を低くした。
「すまない」
 ハリーはまた顔を外に向けた。 肩が大きく上下した。
「だが、彼女は初めてだった。 おまけに船倉の前にごろつき共が集まって、次はおれにやらせろとわめいていた。 なんとか奴らを追っ払って、彼女を船倉に入れたままかくまった。 でも俺だけ外に出たとき、連れの男に刺されそうになった。 二人は親子だったんだ」
「何てことだ」
 トマスは唸り、うろうろと部屋を歩き回った。
「その男は覚えてるよ。 一人離れておまえを睨んでいたな。 でもあのとき、女が船にいたことは知らなかった」
 一息置いて、トマスはどうしてもハリーが口にできなかったことを、ぽつりと確認した。
「その娘が、ヘレナなんだな?」





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