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97 挙式間近の
ヘレナがサイラスと話し合った日の翌日も、珍しく雲ひとつない晴れが続いた。
いよいよトマスとヴァレリーが礼拝堂で式を挙げる当日だ。 花嫁の着替えを手伝ってくれるはずだったヘレナが来られないようなので、仕方なくヴァレリーは早めにトマスの屋敷に入り、何人もいるベテランの使用人たちに着付けてもらうことにした。
トマス・ウェイクフィールドの邸宅は、今をときめくメイフィールドの一等地にあった。 広い道路の真ん中に手入れのいい公園が設置されていて、その左右をいずれ劣らぬ豪邸が囲んでいる。 道の奥には広々とした共同の馬車置き場が見えていた。
街着姿のヴァレリーがトマスに手を取られて馬車から降り立ったのは、真新しい鉄柵に囲まれた五階建ての堂々とした建物の前だった。 正面には大理石の飾り板が張られ、玄関口の左右には黒御影石の浮き彫りがほどこされていた。 いったいいくらお金をつぎこんだら、こんな凄い屋敷が作れるんだろう、と、庶民のヴァレリーは圧倒され、冬なのにこめかみにうっすらと汗がにじんでくるのを感じた。 これが冷や汗というものなのか。
だが、ヴァレリーにとっての試練はそこからだった。 前階段を上がって、いかめしい顔の執事に迎えられて大扉から入ると、丸天窓からの光できらめく壮麗な広間と、中で二列に並ぶ使用人一同が眼に飛び込んできた。 その瞬間、ヴァレリーは本気でくるりと向きを変え、一目散に逃げ出したくなった。
思わず横のトマスを見上げると、彼は眉をしかめて執事に言った。
「大げさにしないでくれと言っただろう?」
執事はまったく無表情で答えた。
「はい。 ですから紹介は後にいたしまして、皆めでたい結婚のお祝いを申し上げたいだけでございます」
トマスは少し表情をゆるめてうなずいた。 そして一同に笑いかけて、しりごみしそうになっているヴァレリーを軽く前に押し出した。
「集まってくれてありがとう。 こちらがわたしの花嫁になるヴァレリー・コックス嬢だ」
すぐ男性職員たちは丁重に頭を下げ、女性たちは膝を折って挨拶した。 そして、黒服をきちんとまとい、腰に鍵束をつけた背の高い婦人が、一同を代表して澄んだ声で述べた。
「ご結婚まことにおめでとうございます」
ヴァレリーにつく敬称が『嬢』で『令嬢』ではないのを意識した者が多いだろうが、誰も態度に出さなかった。
ヴァレリーは、はにかみながら微笑んで会釈した。 それでよかったらしく、トマスは皆に軽く手を挙げてから、さっさとヴァレリーを二階に連れて行った。
ヴァレリーが案内されたのは、すっきりした美しい部屋だった。 しゃれたものにはあまり詳しくないヴァレリーだが、それでも勤め先の本屋でそっと読んだファッション雑誌に出てくるような、最新流行の内装らしいというのはわかった。 特に壁の美しい連続模様は息を呑むほどで、高級なモリスの壁紙ではないかと思われた。
「なんてきれいなお部屋」
ヴァレリーがそう囁いたので、トマスはご褒美をもらった少年のように無邪気な喜び方をした。
「気に入った? よかった! 君のために大急ぎでここだけ改装させたんだ」
「もとはどなたの部屋だったの?」
「母の居間だった」
トマスの声が、優しく寂しげになった。
「ここに親しい人を招いて、世間話をしていたな。 母は子供好きで、男の子でもよくこの部屋に入れてくれたんだ。 お客が持ってきた土産のチョコレートやクッキーを、こっそり食べさせてくれたりして」
「いいお母様だったのね」
「そうだと思う。 学校に入ってから友達の話を聞いて、ずいぶん驚いたよ。 親とは週に一度しか顔を合わせないとか、父親に呼ばれるのは怒られるときだけとか」
そんな冷たい家庭は作りたくない。 うれしいことにトマスも望んでいないらしい。 彼が好きなのは、子供が愛され大事にされる、家族中心の生活なんだ。
そうわかって、ヴァレリーは一挙に心の霧が晴れる気がした。
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