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アンコール!  92 駆け引き中



 王侯貴族でもほとんど手に入れられないほどの逸品を前にして、サイラスの表情が一変した。 とたんに仕事の顔になり、怖いほど真剣な眼差しで引き出しから短眼鏡を取り出すと、目に当てて、ヘレナの差し出す宝石を手に取った。
 しばらくあらゆる角度からためつすがめつ観察した後、サイラスはゆっくりと眼鏡を外して、緊張したヘレナをじっと見つめた。
「鑑定書は持っておらんのかね?」
、 「ええ」
 喉に詰まりを感じながら、ヘレナは辛うじて答えた。
「パリの街角で拾ったの。 大規模な建て直しの前で、工事人が家を壊しに来ていて、みんな外に出て文句を言っていたわ。 そのとき、道端の泥の中に光っているのを見つけたの」
「なるほど」
 サイラスはすぐ納得した。 信じがたい説明だったにもかかわらず。
「そんな偶然でもなければ、普通の人間が手にできる石じゃない。 これはたぶん、フランス革命で姿を消した『暁の星』だろう。 別名は『裁きの石』だ」
「裁きの石?」
「そうだ。 この宝石は、善人が持てば幸せの元になる。 ところが悪人の手に渡ると、持ち主を滅ぼしてしまうと言われているんだ」
 そんな因縁のある宝石…… ヘレナは改めて、サイラスが布の上に戻した透明なダイヤを、畏敬の念をこめて、しばらく眺めた。
「七つのときから、ずっと持ち歩いているわ。 良いことも悪いこともあった。 それでも何とか生きているから、ご利益〔りやく〕があったのかしらね」
 ヘレナもその宝石のとりこになった一人だった。 手放すと思うと、惜しいというより心細くて寂しい。 だが、これからのことを考えれば、失いたくないと嘆くのは贅沢〔ぜいたく〕というものだった。
「じゃ、この宝石は貴族の持ち物だったのね?」
「ああ」
 そう言った後で、サイラスは付け加えた。
「ご他聞に洩れず、ギロチンで殺されている。 他の財産は革命軍が処分してしまったが、これだけは宝石箱にもどこにも見つからなかったそうだ。 革命後に子孫が所有権を主張して、しばらく探していた。 でもその男も死んで、もう正式な持ち主はいなくなった」
「ということは……」
「おめでとう。 これは君のものだよ」
 ヘレナは無意識に、胸に手を当てて深呼吸した。 よかった…… この宝石をかたに金を借りても、罪になることはないのだ!
「サイラスさん」
 声がかすれて上ずった。
「私ね、店を出したいの。 リボンや造花や、レースなんかを売る小さな装飾店を。 これがその『暁の星』なら、買えば目が飛び出るような値段なんでしょうけど、私はどこか他所の町で、店が出せる資金がほしいだけなの。 これを質に入れたら、五百ポンド貸してもらえる?」
 五百ポンドといえば、中堅実業家の年収ほどの大金だった。 ヘレナは心臓をばくばくさせて、サイラスの返事を待った。
 するとサイラスは、ふっと微笑した。
「駆け引きが下手だね、かわいいヘレナ。 こういうときは、初めにうんと吹っかけるものなんだよ。 先に本音を出すと、足元を見られるよ。
 だが、わしは今、機嫌がいい。 おまけに君には、家族をくれたという恩がある。 ケチだが公正だという世間の評判に傷をつけたくもないしな。 それで、ひとつ提案だ。 これを担保として預かって、開業資金を五千ポンド出そう」
 予定金額の十倍を申し出られて、ヘレナは危うく椅子から転がり落ちそうになった。  





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