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アンコール!  87 楽しい買物



 この屋敷でヴァレリーのために働いているビル・ウォレスが、すぐに馬車の用意をして、御者も務めてくれた。
 それで三人は、すぐ商店街へ出かけることができた。 寒くても、道は相変わらず人・馬・馬車や荷馬車で混んでいて、活気にあふれていた。


 最初に入ったのは、しゃれた帽子店だった。 ヴァレリーは、あまりに豪華な商品に圧倒されて、なかなか選ぶことができず、見かねたヘレナが、見本に持ってきた結婚衣裳の端切れと比べて、一つ被せてみた。
「素敵よ、ほら鏡で見てみて。 凝ってるけど凝りすぎじゃなくて、とても上品」
 ぎこちなく鏡に目をやったヴァレリーは、はっとして息を呑んだ。 その表情が、みるみるなごんで、幸せそうになった。
「ええ……私に似合う気がするわ」
「ぴったりよ」
 ヴァレリーはもう迷わず、その帽子を店員に差し出した。
 ヘレナはホッとして、次いで新婚旅行に着ていく服に合った帽子も、うまく選ばせることに成功した。
 その間、ハリーはゆったりと椅子に座って、新聞を読んでいた。 女性とこういう店に来るのは慣れているのだろう。 選ぶのに時間がかかるのは承知の上で、ハンサムな彼に頬を紅潮させた女店員が運んできた紅茶を優雅に飲みながら、どっしり落ち着いて構えていた。
 次は隣にあった手袋屋に行き、それから向かいの鞄屋にも入った。 ときどきハリーがじっと見つめるので、彼の目力に押されて、ヘレナもただ友達の品を選ぶだけでなく、自分の物も買い求めた。 優雅な帽子を一つと、手にぴたりと合う手袋、それに柔らかめで履き心地のいい靴だ。 どれも前から欲しかったものだった。


 靴屋を出ると、興奮でおしゃべりになった娘二人を連れて、ハリーはレストランに向かった。
 工夫した照明が美しい店内には、なんとハリー貸切のテーブルがあって、二人を驚かせた。
「そんなに贅沢じゃないよ。 実をいうと、ここの店主とは昔なじみでね、友情のよしみで特別扱いしてもらってるんだ」
 だからだろう、接待も特別だった。 注文した食事は、前から来ていた客より早く届き、最後には店の主人が自ら出てきて、愛想を振りまいた。
「ディナーはいかがでしたか? お気に召したらよろしいのですが」
「群を抜いたお味でしたわ」
 ヘレナは心からそう答えた。 すると店主は、垂れた頬を揺らして笑み崩れた。
「こんなにお美しい方にそう言っていただけるとは、名誉なことで」
 そしてハリーに視線を移し、
「ごひいき、ありがとうございます」
と言ってから、いきなり片目をつぶった。
 電光石火だったので、その動作を見たのは、ハリーとヘレナだけだった。 ヘレナは目をむきそうになって、急いでナプキンで口元を隠した。 とてもうやうやしく見える、でっぷりして腰の低い店主が、なんと貴族の客にウィンクするなんて!


 疲れたが、夢のような午後だった。
 もし帰り道に、劇場へ行って無断欠勤した詫びをしておこう、と思わなかったら、ずっとそのまま素敵な思い出として残ったかもしれない。
 だがヘレナは律儀だった。 それでハリーに頼んで、馬車をピカデリー方面へ回してもらった。





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