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表紙

アンコール!  84 喜びの再会



 ヘレナはすぐ部屋に入り、安物の鞄に私物を手早く詰めた。 何度か引越しをしたことがあるので、手際がよかった。
 持ち物は、ほんのわずかだった。 哀れになるほどだったが、ハリーは何も言わず、ヘレナが鞄を閉め終わって持ち上げようとすると、すばやく取っ手を掴み取って、先に廊下へ出た。
 ヘレナは困った。 貴族の紳士に荷物運びをさせるわけにはいかない。
「軽いでしょう? 私が持つわ」
 するとハリーは苦笑して首を振った。
「これでも男だよ。 レディに荷物を持たせて、自分は手ぶらで歩けるかい?」
「だけど」
 レディと言われて、ヘレナの胸は驚くほど温かくなった。 それで、強く反対できなかった。
 中途半端に返事を濁したヘレナは、扉を締めて鍵をかけ、ハリーの後に続いて階段を下りた。
 おかみは出入り口付近にいて、マレーという仲買人と話をしていた。 マレーもここの下宿人で、陽気なガラガラ声の中年男だった。
 二人が下りてくるのを見ると、おかみのフィリップス夫人は愛想よく会釈した。
「もう済みましたか?」
「ええ。 ここはいい住み心地でした。 それじゃ」
 ヘレナは鍵をおかみに渡し、気持ちよく別れた。


 再び風の強い戸外に出て、マントを巻き上げられながら馬車に乗り込もうとしたとき、十五歳ぐらいの小ざっぱりした若者が早足でやってきて、ハリーに頭を下げた。
「ティレルといいます。 伝言を頼まれまして」
 少年は、メモのような紙を渡して、すぐ遠ざかっていった。
 ハリーは眉を寄せてメモを開いた。 そして素早く読み終わると、ただちにヘレナに渡した。
 そのメモには、細かい字の走り書きがしてあった。 ヘレナは紙を握りしめて、無意識に呟いた。
「ヴァレリーの字だわ!」
 そして、大急ぎで読み下した。 中には、心配しないで、私は無事です。 ブルームズベリー区の二三番地にある、白い破風が三つついた家にいるので、これを読んだら来てください、と書いてあった。
「ああ、よかった!」
 ヘレナが小声で叫ぶと、ハリーが表情をゆるめてせきたてた。
「さあ、乗って。 ブルームズベリーなら半時間で行ける」


 やがて立派な貸家の前に降り立ったヘレナは、驚きのあまり口をあけて、堂々とした表玄関を見つめた。
「凄い豪邸ね」
 ハリーのほうは、こともなげに屋敷の前景を見渡し、あっさりと答えた。
「ふむ、中の上か、上の下ってところかな」
「これで?」
「うん。 この広さなら、四人家族がせいぜいだ」
 寝室が十部屋はありそうなのに。 上には上があるものなんだな、と心の中で呟きながら、ヘレナは玄関前の階段を駆け上がるようにして、立派な樫の木造りの扉の前に立った。
 後から上ってきたハリーが、ライオンの顔をしたノッカーで叩いた。 すると、驚くほどすぐに大きな扉が開いて、愛嬌のある顔をした男が、ひょこっと頭を出した。
「いらっしゃいませ」
と、彼は言うと、前に立つ二人の名前も訊かないで、中に通した。


 同時に、階段を駆け下りてくる姿が見えた。 ヴァレリーだ。 家の中の様子を見る暇もないうちに、ヘレナは飛びついてきたヴァレリーと抱き合い、お互いの無事を喜びあった。







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