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アンコール!  83 久しぶりに



 こうして、ヘレナとハリーは取るものも取りあえず、馬車を仕立ててロンドンへの短い旅に出た。 サイラスとトマスのそれぞれからの手紙と入れ違いに。
 町に到着したのは昼過ぎだった。 冬にふさわしく、どんよりした曇り空で、身を切るような風が道路を吹き過ぎ、人々は前かがみになって、上着やマントの襟元を押さえ、早足で行き交っていた。
 ヘレナはまず、下宿に直行した。 出てきた女主人は、寒さで頬を赤くしたヘレナと、背後に立つ背の高い男性を見て、驚いて胸に手を当てた。
「まあ、コールさんじゃないの」
「ごめんなさい、黙って急に姿を消して」
 ヘレナは早口で詫びた。 でもフィリップス夫人は咎める様子は見せず、ハリーをちらりと眺めてから、二人とも中に入れるように場所を空けた。


 趣味の悪い客間に通されるとすぐ、ハリーは自己紹介した。
「僕はハムデン。 子爵です」
 フィリップス夫人は恐れ入って、目をパチパチさせた。
「子爵様、ですか?」
 ハリーは普通、称号をあまり言いたがらないが、このおかみには必要だと判断したらしい。
 ヘレナも彼の意見に賛成だった。 夫人は見るからにかしこまり、ハリーにぺこぺこし始めた。
「ええ。 今日はこの人が引越しするので、送ってきました。 部屋はどこですか?」
「はい、あの、二階の大きなお部屋です。 一等室なんでございますよ。 どうぞこちらへ」
 夫人について階段を上がりながら、ヘレナは密かに思った。 ヴァレリーのおかげで屋根裏部屋から抜け出していて良かった、と。 ヘレナにもささやかな見栄はあった。


 久しぶりに見る相部屋は、きちんと片付いていた。 さすがにヴァレリーで、掃除が行き届いている。 ヘレナはますます申し訳ない気になった。
「それでヴァレリーは? どこへ移ったか、ご存知?」
 ヘレナが尋ねると、フィリップス夫人はきょとんとした顔になった。
「え? いいえ、知りません。 コックスさんの荷物は、後で若い男と女が来て、さっさと荷造りして持っていきましたよ。 あなたが消えた翌日に、そりゃあ手際よくね。 ちゃんとコックスさんの紹介状を持ってきたんで、渡しました」
 若い男と女……。 ロンドンにヴァレリーの知り合いで、手助けしてくれそうな若者なんているのか?
 そこでヘレナは、すぐ考えついた。 きっとそれは、ヴァレリーの婚約者ラルストン伯爵、つまりトマスの使用人にちがいない。 困ったとき、ヴァレリーが助けを求めるのは、トマスに決まっているじゃないか。
 下宿のおかみに、全然心配している様子がないのも、ヘレナの考えを裏付けた。
「それで、まだお払いしていない下宿代は?」
 おかみが口を開く前に、ハリーが静かに訊いた。
「もう払ってもらっているんでしょう、他の人から?」
 おかみとハリーの視線が、しばらく絡〔から〕み合った。
 それからおかみは、二重取りするのを諦めて、降参した。
「はい、コールさんの分も頂いてます」
 ハリーはそこで、皆を魅了する少年のような笑顔になると、懐から紙幣を出して、おかみに渡した。
「これは僕からの、世話になったお礼です。 どうもありがとう。 後はこちらでやりますから」
 十ポンド札を握りしめたおかみは、すっかりご機嫌になって丁寧に頭を下げ、軽い足取りで階段を下りていった。







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