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表紙

アンコール!  77 婚約と不安



 かくして、ラルストン伯爵トマス・ウェイクフィールドと、バーミンガム出身で実はサイラス・ダーモットの孫ヴァレリー・コックスとの婚約は、正式に本決まりとなった。
 普通の結婚の手続きを取ると、式は一ヶ月ほど先になる。 その間にゴシップ好きな記者たちが何を探り出して書き立てるかわからない。 だからトマスは、特別許可証を取って、数日以内に屋敷内の礼拝堂で挙式するつもりだった。
 サイラスも、その案に賛成した。
「あんたの妻になれば、夫の力で守ってやれる。 わしもいろいろ手を回せるし」
「あなたの情報網が頼りだ。 ロンドンは伏魔殿〔ふくまでん〕だから、闇の奥まではなかなか見通せない」
「伏魔殿といえば」
 サイラスの目が、きらりと光った。
「あのジョナス・アレンバーグの阿呆が、ハムデンを撃ったらしい」
 トマスは戦慄した。
「撃った?」
「あんたが来る数分前に知らせを受け取ったところだ」
「それでハリーは?」
 思わず詰め寄ったトマスに、サイラスはしっかりとうなずいてみせた。
「大丈夫。 耳にかすり傷を負っただけだ」
 トマスの口から、大きな安堵の息が洩れた。 彼にとってハムデン子爵ハリー・ハモンドは、ただ一人心を許せる存在であり、親友なのだ。
「畜生! 奴がどこにいるか、なんとか探り出してくれ。 わたしがこの手で撃ち殺してやる!」
「残念だが」
 サイラスは淡々と告げた。
「今ごろはもう、始末がついているはずだ。 血迷ってハムデンを暗殺しようとしたのが、奴の運の尽きだった。 屋敷の前に張り込んでいた部下が、逃げるアレンバーグを尾けていって、宿を突き止めた」
「それで?」
 興奮したトマスに、サイラスは片目をつぶってみせた。
「後は奴の借金取りに知らせただけだ。 アレンバーグには永久に金を返すあてはない、と言ってな。 さて、どんな姿で川に浮かぶか」
 冷酷な目付きをして、サイラスは締めくくった。
「あんたがわざわざ手を下して、危ない目に遭う必要はないんだよ」




 一方、撃たれたハリーのほうは、屋敷に入っても落ち着いていた。 むしろ、実戦から退いても、まだ現場の直感が残っていた自分に、誇らしささえ感じていた。
「まだ勘は衰えていないようだよ、ペイトン」
「本当にようございました。 敵は拳銃の使い方に慣れているらしゅうございますね」
「ケンブリッジ時代に決闘を二度やって、二度とも相手に大怪我を負わせた男だからな」
 二人とも膝を撃ち抜かれ、乗馬もダンスもできなくなったのだ。 それを狙って撃ったにちがいなかった。
「あげくに大学を放校になったよ」
「当然でございます」
 主人の秘密を知っている数少ない使用人の一人であるペイトンは、冷静さを保ちながらも、声に怒りをにじませた。
 一方、ハリーはそわそわしていた。
「留守中に手紙は?」
「はい、書斎の引き出しに、いつものように鍵をかけて入れてございます」
「ガッシーとチェリー以外に揉め事は?」
「ございません」
「すべて順調なんだね」
「さようでございます」
 安心して、ハリーは書斎へ一直線に向かった。 手紙の整理と連絡が終われば、すぐ栗の木屋敷にとんぼ帰りできそうだ。 ヘレナを自らの目の届かないところに置いておくのが不安でたまらないハリーだった。







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