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アンコール!  75 難を逃れて



 深夜ならともかく、まだ宵の口だ。 ただならぬ銃声を耳にして、すぐに子爵の使用人たち数人が、呼び交わしながら走ってきた。
 ハリーが枯れ葉をつけて植え込みの後ろから立ち上がると、馬丁のトムリンソンが駆けつけて、埃を払った。
「どうなさいました!」
 ハリーは鋭い眼で周囲を見回した。 道路には通行人がいるだけで、暗殺者らしい姿は見当たらない。 トムリンソンと共に出てきた使用人の若者二人は、へっぴり腰で裏門から目だけ出していた。
「銃で狙われた」
 トムリンソンは仰天した。
「旦那様を狙う? そんな! 一体どこのどいつが」
「犯人の見当はついている」
「とんでもない野郎だ」
 歯噛みしながら、トムリンソンは子爵の盾になって背後を守り、屋敷に押し込んだ。
「すぐ後を追います」
 ハリーは冷静だった。
「いや、いい。 もう逃げてしまったようだ。 危ないのに、よく出てきてくれたな」
 褒められると、トムリンソンは目を光らせて、にやりと笑った。 なかなか度胸のある性格らしい。
「旦那様は貴重なお方ですからね。 兵隊くずれを良い給料で雇って、女房まで持たせてくれる雇い主なんて、そうはいませんぜ」
「こっちも君のような人材は貴重だ」
 ハリーは淡々と切り返した。
「馬の扱いが上手なだけでなく、戦い方を知っているんだから。 でも無茶はさせないよ。 君にもしものことがあったら、奥さんにいつまでも恨まれる」
 トムリンソンは大口を開けて笑い、ハリーの指示を受けて、足の速い従僕のフレッドを呼びに行った。
 彼とすれ違うようにして、息を切らせた執事のペイトンが現われた。
「申し訳ございません。 お迎えに遅れまして」
「またガッシーとチェリーが喧嘩か?」
「はい、残念ながら」
「二人とも血の気が多くて、すぐ掴み合いを始めるから困る。 普段はけっこう仲が良いのに」
 撃たれた衝撃をとっくに克服したハリーは、着替えもせずに書斎へ向かいながら、後をついてきた執事に言った。
「チェリーを母屋に移して、新しい洗濯係を雇ってくれ。 あまり会わないようになれば、二人とも落ち着くだろう」
「かしこまりました」
「それと、これから手紙を書くから、フレッドに持っていかせてくれ」
「はい」




 こうしてハムデン子爵の屋敷がざわめいている頃、ラルストン伯トマスは、ヴァレリーを訪ねて、瀟洒〔しょうしゃ〕なサイラスの貸家に出向こうとしていた。
 地方出身の無邪気な娘だと思っていた婚約者が、実はロンドンでも指折りの富豪サイラス・ダーモットの孫だったと知って、トマスは当惑していた。
 打明け話をヴァレリーから聞いた後、トマスはすぐサイラスの屋敷へ行った。 といっても、正面玄関に乗り付けたわけではない。 裏手の家から人目を忍んで入る特別の出入り口を、トマスは知っていた。







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