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アンコール!  68 食後の会話



 着替えを済ませて降りていくと、一階には香ばしいソースの匂いが立ちこめていた。
 食事室は太い棟木が剥き出しになった昔風の造りで、気取らない温かみがあった。 がっしりしたテーブルも、大きさはさほどでなく、端と端に向かい合って正式に座っても、楽に話し合えた。
「急に出発したから疲れただろう。 足りないものがあれば、ジーンに言うといい。 魔法の杖を使って、何でも出してくれるよ」
 自ら指揮を取って、あぶり肉の香草ソース添えをテーブルに並べていた家政婦のジーンは、ふっくらした頬を揺すって笑った。
「魔法は使えませんが、たいていの物なら使いをやって取り寄せますです、奥様」
 ヘレナはとまどって、あいまいな微笑を浮かべた。 奥様、と呼びかけられるたびに、妙な気持ちになる。 その上、好き勝手に品物を買うのに慣れていなかった。


 手のかかったスープと肉料理は、どちらも大変おいしかった。
「誰でも元気になりそうな献立ね」
 残さず食べ終わって、ヘレナは幸せな気分で言った。 給仕長も兼ねていたジーンは、その言葉でもっと幸福そうになった。
「ありがとうございます」
「今度、ジーン手作りのソーセージを食べてみるといいよ。 まさに頬っぺたが落ちる」
「まあまあ坊ちゃま」
 ジーンは笑み崩れ、皿運びの若者をうながして厨房へ下がっていった。
 最後に並べられたデザートのチョコレートケーキを、あっという間にたいらげた後、ハリーは身を乗り出すようにして、ヘレナに話しかけた。
「君は僕の奥さんなんだ。 そのことを忘れないでくれ。 キッドの手袋でも、なんなら牛一頭でも買っていいんだよ。 欲しければだけど」
 奥様ごっこか── ヘレナはケーキのかけらに目を落とし、胸のかすかな痛みを無視しようとした。
「あなたが守ってくだされば、それで充分だわ」
「また欲のないことを」
「それに、服はもう沢山いただいたし」
 冗談めかして言うと、ハリーは少し黙っていたが、やがて意外なほど真剣な目で、ヘレナの視線を受け止めた。
「あの衣装箪笥には訳があるんだ。 そのうち説明する」
 いつになく真面目な口調に、ヘレナも思わず居住まいを正した。
「いいのよ、気を遣わなくて」
「つまり、僕を悪趣味な女たらしと認めたってことかい?」
 口調は軽かったが、彼の目は笑っていなかった。 それでヘレナは、本心を言うしかないと決めた。
「ちがうわ。 だって、どの服も新品だったもの。 だから思ったのよ。 別の部屋には男性用の衣装も、こんなふうに揃っているんじゃないかって」
 ハリーはまだじっと、ヘレナの緑がかった青い眼を見つめ続けた。 その視線には、さっきより複雑な感情が見え隠れしていた。
「男物も?」
「ええ」
 ヘレナは面白がって、両手を組み合わせた。
「女性用には、ドミノ(仮装用のマント)もあったわ。 だから男性用には、三角帽子やブリキの軍刀なんかまであるんじゃない?
 もっと探せば、髪粉を振ったカツラも、きっとあるでしょうね。 あれは仮装舞踏会のための衣装棚なんでしょう?」
 部屋にはらんでいた緊張が、ふっとほぐれた。
 ハリーは小さく首を横に振り、優しさをこめて囁いた。
「ああ、ヘレナ、ヘレナ。 君は観察眼が鋭いね」







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