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表紙

アンコール!  65 待ち合わせ



 サイラスの顔は板のように強ばり、無表情で、目だけが怒りに燃えていた。
「わしは納屋に飛んでいって、待ったさ。 人に知られたくないと手紙にあったから、ランプを消して真っ暗にした。
 やがて入ってくる気配があって、いつもマリアンがつけている薔薇水の香りがした。 夢中で抱き合ってキスしたとき、扉があいて、灯りが見えた」
 その瞬間、ヴァレリーは恐ろしい衝撃と共に、話の結末を悟った。
「後から来たのが、お祖母ちゃんだったのね……?」
 今はほぼ真っ白に変わった眉の下から、サイラスの驚いた視線が、ヴァレリーを射た。
「そうだ。 よくわかったな」
「そして、闇に隠れて会いに来たのが、リスベス伯母さん」
「そのとおりだ」
 サイラスは短く吐き捨てた。
「光の中にマリアンの顔が見えたとき、わしはあんまり驚いて、頭が真っ白になってしまった。 すぐには事情が飲み込めなかったんだ。
 気づくとマリアンは何も言わずに走り去ってしまい、後を追おうとしたわしにリスベスがしがみついて、引き止めた。 すごい力だった。
 わしはカッとなって、全力であの女を振り払った。 そのとき、顔を叩いたかもしれないが、覚えていない」
 サイラスの痩せた胸が、大きく上下した。
「追っても、どこにも見つからず、それっきり、二度とマリアンには会えなかった。
 翌日になると、わしがハッカビー姉妹の両方を引っかけたという噂が広まっていた。 そんなこととは知らず、マリアンに会いに行った家の前で、リスベスの取り巻き連中に半殺しにされた。 この顔の傷は、そのときのものだ」
 ヴァレリーは何と言っていいか、言葉が見つからなかった。 なぜか説明できないが、このぶっきらぼうな老人の言葉は真実にちがいないという気がした。
「それからしばらくは、ベッドから起き上がれなかった。 幸い、雇い主がいい人で、わしの言い分を信じてくれ、クビにはせずに、ゆっくり養生させてくれた。
 わしが弱っている間に、リスベスは急いで金持ちの商人の後妻に入った。 きっと仕返しが怖かったんだろう。
 後で聞いたが、顔に青あざをつけて、わしに殴られたと涙ながらに訴えていたそうだ。 本当にそうなのか、化粧で青くしたのかは、わからないが」
「みんな変だと思わなかったの? お祖母ちゃんは何ともなくて、リスベス伯母さんだけ殴られたなんて。 あなたがどっちを好きだったか、すぐわかるじゃない?」
 不意にサイラスの視線が和らいだ。 そして、濁った声で呟いた。
「そこまでちゃんと考える人間は少ないのさ」
 彼の手が、ゆっくり頬の傷をなでた。
「ひどい傷だ。 これでもずいぶん目立たなくなった。 立てるようになって、最初に鏡を見たときは、三階の窓から飛び降りようかと思ったぐらいだった」
 かすかな笑いが口元をよぎった。
「マリアンがロンドンを去って、別の男と所帯を持ったという話は、わざわざハッカビーの親父がうちの店へ伝えに来た。
 それからは、もう仕事しかなかった。 こんな顔になっても、金があれば近づいてくる女もいる。 だが相手にする気になれなかった」
 ヴァレリーは、まっすぐサイラスの顔を見た。 傷跡は確かに線となって残っているが、醜いというほどではない。 口や目を切られないで、まだよかった。 腫れが引いた時点で、彼は美貌を半ば取り戻していたはずだ。
 顔より、心のほうがずっと傷ついたんだ、と、ヴァレリーは感じ取った。 彼を罠に落としたリスベスと、彼の真心を信じないで黙って去っていったマリアンの、姉妹両方のせいで。
「リスベス伯母さんも、あなたが好きだったんだと思うわ」
 言葉が勝手にすべり出た。 恋には恐ろしい面がある。 自分が人を好きになって、ヴァレリーは初めて、恋は盲目、ということわざの意味を悟りはじめていた。
 サイラスは乾いた声で笑い、脱いだ帽子を再び手に取った。
「君はリスベスに似ていないようだな。 よかったよ。 わざわざここを訪ねてきたのを後悔せずにすみそうだ。
 肝心な話が遅くなってしまった。 ヘレナを追いまわしているアレンバーグという男は、良心のない危険人物だ。 あの子が消えたら、君の身もあぶない。 親友の君を捕まえて、無理にヘレナの行く先を聞き出そうとするかもしれないんだ」
 たちまちヴァレリーは青ざめた。
「そんな!」
「ウェイクフィールドに助けを求めるのもいいが、結婚前に同居すると世間体が悪いだろう。 安全な隠れ家に案内するが、行くかね?」
 一瞬ためらってから、ヴァレリーは大きくうなずいた。 彼はヘレナが信頼している相手だ。 それに今の打明け話で、ただの他人ではないことが分かったばかりだ。
「すぐ支度します。 ありがとう」
 そのときヴァレリーは、サイラスがトマスのことを、うっかりウェイクフィールドと呼び捨てにしたのに気づかなかった。








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