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アンコール!  63 すれ違う心



 サイラスとヴァレリーは、三フィート(約一メートル)ほど離れて立ったまま、数秒間動かなかった。
 それからサイラスが、低く断言した。
「あんたはわたしと血が繋がっておるようだな」
 さっとヴァレリーの顔が紅潮した。 毅然と顔を上げて、彼女は言い返した。
「あなたのほうから認めるとは思わなかったわ。 もちろん私から言い出す気は全然なかったし」
「そうか」
 サイラスは珍しく素直にうなずき、深く息をついた。
「マリアンはわたしを憎んどっただろうな」
 ヴァレリーは天を仰いで、目をしばたたいた。 祖母を思い出して不意ににじんできた涙を止めるためだった。
「いいえ。 あなたを嫌っていたのは、母よ。 あなたは父親としての責任を果たさなかった。 その代わりを引き受けてくれたトビー・ヒルだけがお父さんだと、母はいつも言っていたわ」
 トビー・ヒル、と、サイラスは喉の奥で噛みしめるように呟いた。
「ええ、私にもいいお祖父ちゃんだった。 代書屋をしていて、一生金持ちにはならなかったけど、友達がたくさんいたわ。
 家が近かったんで、私も小さい頃から母に連れられて、しょっちゅうお祖父さんお祖母さんの家に行っていたの」
「マリアンは幸せに暮らしていたんだな」
 寂しげな声音の中に、どこかホッとしたものを聞き取って、ヴァレリーは表情を強ばらせた。
「ええ、たいていは。 でも、お祖母ちゃんは本当には、中部のバーミンガムになじめなかったみたい。 私のスケッチをよく描いてくれて、その合間にロンドンを思い出して絵にしていたわ。 バーミンガムの景色はあまり描かなかった」
 サイラスは顔をそむけた。 辛いんだ、と、ヴァレリーは直感した。 無慈悲に恋人を捨てた人でなしだと母は言っていたが、もしかすると違うのかもしれない。 確かにそんな薄情な男なら、祖母のマリアンが懐かしんだりするだろうか。
 ヴァレリーは少し迷ったあげく、決心をつけて、居間の物入れの引き出しに入れてあった祖母のスケッチの束を出してきた。
「これがお祖母ちゃんの形見。 この一枚は、あなたでしょう?」
 サイラスは、何の心の準備もしていなかった。 だから、不意に目の前に現われた、自らの若い盛りの肖像画を見たとたん、凍りついた。
 それは美しい絵だった。 当時の流行だった高い襟と、窮屈なクラヴァット(=柔らかいスカーフ状のネクタイ)で襟元を締めあげているにもかかわらず、絵の青年はのびやかで、顔は輝いていた。
「微笑んでるわ。 それに眼が優しい」
 ヴァレリーが囁くように言うと、サイラスの呪縛が解けた。 絵を見た驚きだけではなく、何十年もの孤独と慙愧〔ざんき〕の思いに、いきなりひびが入った。
「わたしは、こんな風に見えたのか」
 サイラスは、絵を取って握りしめた。 古くなった紙の両端が、かすかな音を立てて丸まった。
「そうだとも。 これがわたしの気持ちだった。 信じてくれていたら。 あと半日待っていてくれさえしたら、君を失わずにすんだのに!」







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