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アンコール!  62 面会の衝撃



「お通ししていい? それとも下の客間で会う?」
 しびれたようになっているヴァレリーの頭にも、理性は残っていた。 あの狭い客間では内輪の話はできない。 好奇心一杯の女主人が、きっと立ち聞きするだろう。
「すみませんが、こちらでお話したいと伝えてください」
「あら、そう?」
 フィリップス夫人は、つまらなそうに声を落とすと、今上がってきたばかりの階段をとことこと下りていった。


 一瞬額を押さえて顔をくしゃくしゃにした後、ヴァレリーは気持ちを励まして片付けにかかった。
 コートを箪笥にかけ、帽子をしまってポットを火にかけたところで、ノックが聞こえた。 緊張で汗ばんだ手をハンカチでぬぐうと、ヴァレリーは戸口に急いだ。
 ドアの外に立っていたのは、真冬の象徴のような姿だった。 痩せて背が高く、髪と眉毛はほとんど白い。 目は鷹のように鋭い上、人を寄せつけない厳しさをたたえていた。 しかも、冷たい印象の総仕上げとして、左頬に大きな傷跡まであった。
──これが、サイラス・ダーモットの四五年後の姿なの?──
 ヴァレリーは思わず、彼の顔立ちの中に、スケッチの明るく魅力的な青年の面差しを探した。 だが、変わらないのはしっかりした輪郭ぐらいで、後は別人としか思えなかった。
「あ……あの……」
 ヴァレリーが口ごもると、サイラスはシルクハットを脱ぎ、重々しい声で言った。
「サイラス・ダーモットです。 ご存知だろうが、あんたの友達のヘレナ・コールに働いてもらっております。
 今夜はヘレナのことで来ました。 彼女のことは、もう聞きましたか?」
「はい、さっきここに戻ると、置手紙がありました」
 ヴァレリーはすぐ、老人を部屋に通した。


 一番いい椅子に座ってもらって、紅茶を入れていると、サイラスが話しかけてきた。
「ヘレナは悪党のジョナス・アレンバーグに追われて、姿を消した。 わしにはそれしか書き残さなかったんだが、あんたには?」
 ヴァレリーの肩が落ちた。
「私にも、それだけです」
「巻き込むまいと思ったんだろうな。 だが、かえって危険だ」
 サイラスは、出された紅茶を一口飲んで、はっとしたように手を止めた。
「これは……ダージリンの入れ方がうまいですな」
「祖母が喫茶店の手伝いをしていたものですから、入れ方を教わりました」
と、ヴァレリーは息を詰めるようにして答えた。
 サイラスの骨ばった手が茶碗を受け皿に戻すとき、小さく震えて、不規則な音がした。
「あんたのお祖母さんとは、もしかしてマリアン・ハッカビーかね?」
 驚いたヴァレリーの指が、無意識に襟元を押さえた。
「はい、ハッカビーは祖母の旧姓です」
 サイラスの喉仏が大きく動いた。
「そしてあんたは、マリアンとわたしのことを知っているらしい。 そうだね?」
 単刀直入に言われて、ヴァレリーは言葉を失った。
 サイラスは、ゆっくり立ち上がった。 その視線は、ヴァレリーの顔にではなく、手に釘付けになっていた。
 彼が近づいてくるのを見て、ヴァレリーは思わず後ずさった。 サイラスは立ち止まり、かすれた声を出した。
「怖がることはない。 ただ、気になるんだ。 手を出してごらん。 右の手だ」
 なぜ?
 ヴァレリーは理解できないまま、おずおずと右手を持ち上げた。 すると、サイラスも同じように手を前に上げ、指をそろえてみせた。
 とたんにヴァレリーは息を呑んだ。 サイラスの右手は、親指を除いてほぼ左右対称に指がついていた。 つまり、人差し指と小指が同じ長さだったのだ。
「これはとても珍しい」
 サイラスの声は更にしわがれて、ほとんど囁きに近くなっていた。
「左手が普通だから、もっと稀だ。 うちの親父以外、こういう手を持つ人間に会ったのは、あんたが初めてだ」







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