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53 切羽詰って
冷たい怒りが、ヘレナの心を占領した。
ハリーは確かに気さくで愛嬌があり、人に好かれる。 だが、決して媚びて、尻尾を振っているわけではない。 人気があるのは、感じがいいからだ。 思いやりがあって気配りできるからなのだ。
親の金をばらまいて威張ることしかできないあんたに、何がわかる!
「もう三分経ったわ。 本当に稽古にいかなきゃ」
あわただしく言いながら、ヘレナが突っかい棒になっている脚を強引に押したので、ジョナスはよろめいて、倒れそうになった。
その隙に、ヘレナはサッとすり抜けた。 うまく逃れたつもりだったのに、敵の腕は思ったより長く、ぎりぎりのところでヘレナの袖口に指を引っかけた。
「待てよ。 この金で、指輪を買ってやろうと思ってるんだぜ」
賭博で儲けたあぶく銭で、指輪を買うって?
ヘレナはせせら笑いたくなった。
「花やお菓子なら頂くわ。 でも高い宝石は、つけていく場所もないし、家に置いておくにはぶっそうだし。 もっと喜ぶ人にあげて」
「置いとくんじゃないよ。 指輪は指に嵌めるもんだ」
間隔のせまい灰色の目が、ヘレナの顔をなめまわすように見た。
「つまり、結婚してやろうって言ってるんだ」
ヘレナは、たじたじとなった。
本気で、このなめくじ野郎を突き飛ばして、今すぐ劇場から逃げ出そうと思った。
結婚? 冗談じゃない! 弱い者いじめで、道端で買った女に金を払わず、蹴り倒して去ったという忌まわしい噂のある、こんな男と、誰が!
「悪ふざけは止めて。 稽古に行くんだから、通して!」
「悪ふざけだと? おれは真面目に……」
もみ合っている最中、演出助手のウォルターズが、じれた様子で通路の角から顔を覗かせた。
「やっぱり残ってる。 ヘレナ! そんなところで油売ってないで、早く!」
「はい、今行くわ!」
ほっとしたヘレナが、ジョナスを振りほどいて小走りになったとき、背後から声がからみついた。
「確かに申し込んだぞ。 明日の同じ時間に、指輪を買ってここへ来るからな。 ありがたく受け取る準備をしておけよ!」
時間がなかった。
なさすぎた。
追い詰められたヘレナは、それから舞台が終わるまで、必死で逃げる方法を考えつづけた。
裏口から抜け出して汽車に乗り、ヘンリー・ステートの元へ行くことを、まず考えた。 どうせ結婚するなら、誠意があって優しいヘンリーのほうが、いいに決まっている。
だが、すぐ気づいた。 ヘンリーがヘレナに夢中なのはよく知られているのだ。
そしてジョナスは執念深い男だ。 自分がヘンリーに負けたと知ったら、どんな嫌がらせを始めるか、わかったものではない。 もしかすると、ヘンリーを始末してでもヘレナを取り返そうとするかもしれない!
となると、残る道は一つだった。
舞台がはねた後、楽屋の隅で、ヘレナは物入れをかき回して、花束についていたカードを探した。
束ねたカードの半分は、ハリーのものだった。 その住所を確かめ、一枚をバッグの中に押し込むと、ヘレナは仲間の女優たちに混じって、目立たないように楽屋を出た。
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