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表紙

アンコール!  52 嫌な出会い



 だが、その日の運はそこまでだった。
 二手に分かれた通路の左側へ入っていって間もなく、ヘレナは女性控え室が連なっている区画の壁に寄りかかっている二人の男を見つけて、思わず顔をしかめた。
 右にいる、ひょろっと痩せた若者は知らない。 だが、その若者と向き合って、脚を粋に交差させて葉巻をくわえているシャレ男には、見覚えがあった。
 名前はジョナス・アレンバーグ。 ブラックモア男爵の三男で、あまりの悪行に親にも見離されかけていたが、小遣いだけはたっぷり貰っているため、ロンドンのいかがわしい区域では大きな顔をしているという噂だった。


 しかたなく、ヘレナは適当な愛想笑いを顔に貼りつけ、軽く会釈してから二人の間を通り抜けようとした。
 そのとたん、上等な長靴を履いた脚が突き出されて、通行を遮った。
「おっと失礼。 おや、ヘレナ・コール嬢じゃないか」
「あら、こんにちは」
 ヘレナはほがらかな声を出した。
「お久しぶりね。 でも残念だけと、今日は急ぐの。 次の芝居の立ち稽古があるんで」
「そうらしいな」
 少し離れた楽屋から、折りしもにぎやかに出ていく端役たちに目をやって、ジョナスは葉巻の煙を吹き上げた。
「話はすぐ済むよ。 わざわざ君を待ってたんだから、二、三分ぐらいはいいだろう?」
 帽子の陰になったヘレナの顔が、すっと曇った。
 冗談じゃない。 この男に待ち伏せされてたなんて。
「何か御用?」
「ああ、めでたいことに」
 ジョナスは狐に似た顔に笑みを浮かべると、派手な赤茶色の上着のふところから、芝居がかった手つきで分厚い札束を取り出してみせた。
 すると、傍にいた若者の目が光り、よだれを垂らしそうな表情になった。
「昨夜はカードテーブルでつきまくってね、大儲けさ」
「おめでとう」
「おっと、話はまだ始まったばかりだ」
 黄色のズボンに包まれた脚が、ふたたび通路をさえぎった。
「で、幸運を君と分けっこしようと思いついた」


 ヘレナの顔から、商売上の笑いが消えた。
 そして真面目な表情で、舌はなめらかだが心は冷たい青年を見上げた。
「せっかくだけど私は遠慮するわ。 もっと喜んでくれる人と一緒に使って」
 たちまち、ジョナスの眉が吊り上がった。 反抗されるのに慣れていないらしい。 急に言葉も乱暴になった。
「おい、よく考えろよ。 おれは前からおまえに目をつけてたんだ。 ところが最近、ハムデンの奴がちょっかい出してきて、花なんか贈っているというじゃないか。
 なあ、あんなへなちょこのどこがいい? 誰にでもすり寄っていって、まるでテリヤか太鼓持ちだって評判だぜ」







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