表紙目次文頭前頁次頁
表紙

アンコール!  49 知っている



「リスベス・マーチンデイルだと?」
 やがてサイラスの喉から出た声は、不気味なほどしわがれていた。
「旧名リスベス・ハッカビーだな。 あの根性のねじまがった、陰険女」
 ヘレナは目を見張った。 確かにサイラス・ダーモットは皮肉屋で、口が悪い。 しかし、ここまで感情的に人をののしったことは、これまで一度もなかった。
「ヴァレリーの伯母さんと知り合いだったの?」
 サイラスは顎を上げ、虚ろな目でヘレナを見返した。
「ああ、よく知っていたよ。 もう遥か昔のことだが」
「ヴァレリーの話によると、伯母さんは若い頃、とても美人だったそうね」
 驚くことに、ヘレナがそう褒めたとたん、サイラスは鼻で笑った。
「そうだったろうな。 表面しか見ない連中にとっては」
 それから彼は、思いついたように付け加えた。
「待てよ。 そのヴァレリーという娘が君と同じくらいの年だとすると、リスベス・ハッカビーが伯母のはずはない。 年を取りすぎている」
「ああ、本当は大伯母さんよ。 ヴァレリーのお祖母さんのお姉さんだから。 でも『大』をつけると嫌がるからって」


 また沈黙が落ちた。 サイラスが銅像のように立ち尽くしている横を、ヘレナはすり抜けてドアノブに手をかけた。
 その背中を、サイラスの声が追った。
「リスベスには妹が一人しかいなかった」
 まだ話したいらしい。 疲れたヘレナは溜息を抑えて、ゆっくり振り返った。
「ヴァレリーのお祖母さんの名前は、たしかマリアンよ」
 マリアン、とサイラスは呟いた。 喉の奥で愛撫するような、低く優しい声音だった。
 その瞬間、ヘレナの脳裏に稲妻のように、一つの考えがひらめいた。 直感としか言いようがなく、証拠もないが、ほぼ確信した。
 サイラス・ダーモットは、マリアン・ハッカビーに想いを寄せていたにちがいない。
 けだるい疲れが、一度に吹き飛んだ。 ヘレナは戸口を離れ、再びサイラスに近づいた。
「マリアンさんは絵がうまくてね。 バーミンガムへ移った後もロンドンが恋しくて、思い出してはスケッチしていたの。 昔のロンドン橋やコヴェントガーデン、ピカデリーなんかを。 ヴァレリーはお祖母さんの形見として大事にしているのよ。 私も見せてもらったわ」
 サイラスは、かすかに首を振った。
 それから、崩れるように椅子に座り込むと、背もたれを掴んで顔を伏せた。
 手の甲に押し付けた口元から、低い呻きが伝わってきた。
「わたしが彼女をロンドンから追いやった。 わたしが愚かだったばかりに……!」







表紙 目次 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送