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36 馬車で送る
愉快げに躍るハリーの眼差しは、街灯があっても薄暗い街角に、ぽっと光が灯ったように温かかった。
おまけにハリーは、大きなこうもり傘まで差しかけてくれた。 だからすぐ横にいたヘンリー・ステートには丸見えで、たちまち怒り出した。
「ちょっとあんた、何ちょっかい出してるんだ。 この人は僕の連れだぞ!」
「そうは言っても、このどしゃ降りに道で立たせておいては風邪を引いてしまう。 君は傘を持ってるのかい?」
ヘンリーは言葉に詰まり、憎々しげにスマートな夜会服姿のハリーを睨んだ。
その隙に乗じて、ハリーはヘレナの手を自分の肘にからませると、さっさと歩き出した。
「コール嬢は僕の馬車で送るから、安心したまえ」
と言い残して。
瀟洒〔しょうしゃ〕な二頭引き馬車は、前に見たことがあったが乗るのは初めてだった。
あっさりとした外見だが、中に入ってみると設備は豪華だった。 座面はベルベットを使い、カーテンは同色の分厚い絹地、横には彫刻をほどこした小物箪笥が作りつけになっていた。
「立派な馬車ね」
濡れた服で座席を汚すのは気が引けて、ヘレナは声が小さくなった。
ハリーは平気で、裾から水のしたたるマントのまま、ヘレナの横に腰掛けた。
「ホワイツ(=名門クラブ)にいたら、雨が大降りになるのが見えてね。 君が困ってるんじゃないかと思って、迎えに来た」
「わざわざ?」
「そうとも。 憧れの君のためだ、たとえ火の中水の中でも駆けつけるさ」
「ありがとう」
ヘレナは素直に礼を言った。 そして、お人よしのヘンリー・ステートを利用して夕食をおごってもらうより、ハリーと馬車で普通に帰るほうが嬉しい自分に気づいて、ちょっと驚いた。
「こっちにいるときにはホワイツに泊まるの?」
彼に私生活の質問をしたことはなかった。 でもそのときは、すらすらと口から出た。
ハリーもごく普通に答えた。
「たまに。 大抵はストラットンの家に帰るようにしてる」
やっぱりロンドンに屋敷があるんだ。 こうやって自家用の馬車を使ってるぐらいだから。
「お金持ちなのね」
なんとなくぼんやりしていて、考えたことをそのまましゃべってしまった。
しまった、金に転ぶ女だと思われる── 疲れているので普段の機転が働かない。 ヘレナは焦った。
ところが、その言葉が呼び水になった。 急にハリーが張り切って、少し身を寄せると情熱的にヘレナの手を取った。
「貧しくはない。 君に素敵な町屋敷を借りてあげることもできるよ。 そして大切にする。 決して寂しい思いはさせないから」
ヘレナは視線を落として、自分の手を包み込んでいる長い指を見つめた。 いかにも彼らしく、形が良くて優雅だ。
しかし、手袋の上からでもざらざらした硬い感触が感じられた。 ハムデン子爵ハリーの手のひらには、身分にそぐわないまめが出来ていた。
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