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アンコール!  21 素敵な誘い




 ラルストン伯爵が、死人の目をしている?
 ヘレナは首をかしげそうになった。 彼の動作は活発で、とてもいきいきしているのに。


 劇場と同じく、本屋も日曜に休まない。
 まだ勤め出して二週間経っていないが、ヴァレリーは態度がまじめで素直だし、金関係にやたら目の効くサイラス・ダーモットの強力な押しがついているため、店主のバクスターにすっかり信用されていた。
 だからその日曜日も、ヴァレリーは売り子として、せっせと本を包んだり袋に入れたり、釣り銭を数えたりしていた。 バクスターのごつい手より、ヴァレリーの白い指で本を渡してもらうほうが、男性には嬉しいらしく、確かに出入りする客の数は増えてきていた。
 三人続けて本を売り、伝票に書き込んでいると、また客が前に立った。 笑顔を作って首を上げたヴァレリーは、上等なコート姿のトマスを見つけて、愛想笑いが本物になった。
「まあ、伯爵様」
「あいかわらず頑張ってますね」
 そう言いながら、トマスは大きな本を差し出した。 今度はスペインの地誌だった。
「働き者は好きだな」
 好意的な言い方に、ヴァレリーの頬が桜色になった。
「それはどうも」
「ただ、いつも働いてばかりでは疲れきってしまう。 どうですか? 今度の休みの日に、ヴォクソール・ガーデンで骨休めするというのは?」
 ヴォクソール・ガーデンは大人の遊園地で、昼は食事と見世物を楽しみ、夜には花火と逢引の花が咲くという場所だ。 楽しみの少ない地方で育ち、ロンドンへ来てからも働くばかりだったヴァレリーは、思わず目を輝かせた。
「え? あの、素敵なお誘いですが……」
 伯爵は心得顔で、後を続けた。
「まずいでしょうね。 僕と二人きりで行くのは。 それだったら、お友達のコールさんも呼んだらどうです? 僕もハリーを誘いますから」
 そのとき、背後からバクスターの低い咳払いが聞こえた。 伯爵の横に二人も客がたまっているのだ。 ヴァレリーは急いでトマスの出した本を包み、金を受け取りながら声を落として答えた。
「私の休みは月に二回で、次の木曜日です。 でもヘレナは月曜日。 どうしても合いません。 残念ですけど」
 トマスは平然としていた。
「大丈夫。 あなたの休日はどうにもできないが、劇団のほうは融通がききます。 団長と知り合いなので、風邪を引いたということで、一日休みをもらいましょう。 もしヘレナさんが承知してくれればね」
 ヴァレリーは思わず胸に手を当てた。 今からわくわくしてくる。
「話してみます! きっと喜んでくれますわ」


 かくして、水曜日の昼、あくびをしながら起きだして来たヘレナは、いつも出勤前にヴァレリーが用意してくれるささやかな食卓につこうとして、皿の下にはさんである紙を見つけた。
 紅茶を入れる湯を沸かす間に、ヘレナは紙を開いて読んだ。
「明日、ヴォクソール・ガーデンに行きませんかって…… 無理よ」
 だが手紙には続きがあった。 ヘレナは上目遣いになって、低く笑い出した。
「あら、伯爵ったら隅に置けないわね。 女優の愛人がいて、こうやって連れ出してたのね」








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