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アンコール!  20 朝に会って




 平日、ヘレナの劇団は夜に興行する。
 一方、同居人になったヴァレリーは本屋で働きはじめていて、朝から出かけて夜の九時過ぎに家路についた。
 だから、二人の娘はすれ違いになり、同じ部屋に寝泊りしていても、顔を合わせるのはマチネー(昼間)上演がある週末の朝ぐらいだった。
 だから二人は、その日の朝御飯に時間をかけて、できるだけ沢山の会話を詰めこんだ。
「勤めは慣れた?」
 すでに二度入れて、だしがらになりかけている紅茶に湯をそそぎながら、ヘレナが尋ねると、ヴァレリーは顔をほころばせた。
「ええ、店の主人のバクスターさんは、ちょっと口うるさいけど良い人よ」
「本の並べ替えって力が要るでしょう?」
「そうね。 でも頑張ってやってるわ。 そのうち腕に筋肉がつきそう」
「あなた目当てのお客さんが増えた?」
 ヴァレリーは小さく口を開けてから、また閉じ、うっすらと頬を染めた。
「どうかしら。 バクスターさんは増えたって言ってるけど。
 ただね、一昨日にラルストン伯爵が見えたわ。 お友達のハムデン子爵と一緒に」
「そう」
 子爵の名前を聞いて、ヘレナは好奇心に駆られた。
「偶然? それともあなたがいたから?」
「偶然だと思う。 伯爵が予約した本を取りに来たの。 『アフリカ沿岸地誌』とかいう分厚い本」
「へえ、じゃ、友達の子爵は、ただついてきただけの金魚のフン?」
 二人はくすくす笑いあった。 その朝は他の下宿人がみんな食堂に集まっていて、とても賑やかだったため、娘たちが何を話しても周囲に聞こえる心配はなかった。
「子爵は雑誌を買ってたわよ。 お二人とも親切だったわ。 私を覚えていて、もう火傷〔やけど〕は治りましたか?って訊いてくれたの」
 ヘレナは友達の顔をつくづくと眺めた。 暮らしが安定して不安が減った今、ヴァレリーはだいぶ明るくなって、生まれつきのふんわりした美しさが表に出てきていた。
「普通の男の人なら、あなたを忘れたりしないわよ」
「それはあなたの方でしょう?」
 ヴァレリーは目をぱちぱちさせて、思わせぶりな表情になった。
「訊かれたわよ、あなたのこと。 目立つのに、あんな端役じゃもったいないって伯爵が」
「嬉しいこと言ってくれるわね。 子爵のほうは?」
「あの人は冗談ばっかり。 美女がふたりもいるから、この下宿屋の前は崇拝者で列が出来てるでしょう、とか何とか」
「口がうまいのね」
 ヴァレリーはふと考え込んだ。
「確かにそうね。 でも私には、子爵のほうが本当は親切なんじゃないかって気がするの」
「浮ついた態度なのに? どうして?」
 驚いてヘレナが問い返すと、ヴァレリーはゆっくりと慎重に答えた。
「子爵は目がきれいなの。 でもね、伯爵のほうは、どんな優しいことを言っていても、目が笑わない。 青い氷のかけらみたい」
「高慢ちきだってこと? それは貴族だもの、当然なんじゃない?」
「ちょっと違うわ。 威張ってはいないの。 二人ともね。 ただ……」
 うまく説明できないらしく、ヴァレリーはもどかしそうに手を揺り動かした。
「子爵はいきいきしていて……」
「伯爵は半分死んでるみたい?」
 ふざけて言ったヘレナだったが、ヴァレリーが真面目にうなずくのを見て目を丸くした。
「そう、そんな感じ」







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