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15 頼りになる
すでに夜の十時を回っていた。
それでも、初めてサイラスと逢った時間より少し早い。 質屋は人目をしのんでこっそり夜来る客がいるし、たしかサイラスの店は夜遊びする連中に賭け金を提供することもあるので、夜中の十一時頃まで開いていると聞いた。
ヘレナは素早い足取りで三丁目の角を曲がり、目立たぬところに店を構えているダーモット質店の前に立った。
期待していたように、鎧戸〔よろいど〕はまだ閉まっていなかった。 店先は暗かったが、奥に小さな明かりが灯っているのがわかる。 ヘレナがそっとドアを押し開けると、上についたベルがチリリンと鳴った。
すぐに、カウンターの後ろで人影が立ち上がった。 そしてランプを手に近づいてきた。
ヘレナはその影に微笑みかけて、陽気に告げた。
「こんばんは、サイラスさん。 今日はちょっと相談に来たの」
サイラスはにこりともせずにランプをカウンターに置くと、白いげじげじ眉毛の下からヘレナを見据えた。 明かりが顔の斜め下から当たって、古城かどこかのいかめしい老執事の亡霊のように見えた。
「相談料を払うなら、相手してやらんこともない。 見てのとおり、今は客がおらんから」
「ありがとう。 それじゃさっそくだけど、若くてきれいな女の子の安全な勤め場所って、この辺にあるかしら?」
するとサイラスは、目をまたたかせた。
「若くてきれいな? 自分のことをそう思っとるのか? いい度胸だな」
相当な憎まれ口だが、ヘレナはクスッと笑っただけだった。 なぜかサイラスには辛辣〔しんらつ〕なことを言われても腹が立たない。
「ちがうわよ。 私じゃなくて、友達。 スケベ男に狙われて故郷にいられなくなって、ロンドンに逃げてきたの」
サイラスは、気に入らないという様子で腕組みした。
「また人のために動いておるのか。 友情に尽くしても、見返りなんかないぞ」
「ちゃんとあるわ。 彼女、私と相部屋なんだもの。 仕事してくれれば、家賃の足しになる」
「まったく」
不機嫌に唸ると、サイラスは顎に一本指を当て、天井に目をやりながら頭を働かせた。
「本屋のバクスターが女店員を探しておる。 前、試しに親戚の娘を雇ったところ、その女目当てに男の客が増えて、ほくほくしておったんだ。 だが可愛いからすぐ虫がついて、駆落ちしよった」
「ああ、本屋のバクスターさん……」
ヘレナも無意識に真似して、顎に指を載せた。
「まるまるした陽気なおじさんね。 ああいう人って、店員に手出さない?」
「大丈夫だ。 怖い女房がいる。 前に教会の献金係の女に色目を使ったといって、麺棒持って亭主を百ヤードも追い回した」
そんな下世話な噂を、サイラスさんはどこで仕入れるんだろう。 まるっきり愛想のない老人を眺めて、ヘレナは不思議で仕方なかった。
「とっても耳寄りな話ね。 帰ってヴァレリーに話すわ。 どうもありがとう」
それから、抜け目なく掛け引きにかかった。
「相談料だけど、いくらお払いする? まだ給料日が来てないんで、今日は半額にしてもらって、その代わりヴァレリーが採用されたら一割増しにするっていうので、どう?」
サイラスは眉毛を寄せた。 そして珍しくズバッと返事せずに少し無言でいてから、咳払いした。
「そう簡単には採用されんぞ。 本は高い商品だ。 だから店員になるには保証人が要る」
保証人!
ヘレナはがっかりした。 ヴァレリーはちゃんとした育ちのようだが、家出同然に上京してきたのだから、保証人などいるわけがない。
「なんだ、それじゃ話してもらっても役に立たないじゃないの」
「そうでもない」
サイラスはもう一度咳払いしてから、鋭い目付きでヘレナを見返した。
「このわしが、一筆書いてやってもいい」
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