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アンコール!  14 仕事探しに




 その日も舞台の公演は夜だけで、ヘレナは午後まで劇場に行く必要はなかった。 だから朝食を終えた後、ヴァレリーと買物に出ることにした。
 外は曇りで風が強く、時折ぱらぱらと小雨が落ちてくるという陰気な空模様だった。
 でも娘二人には若さと元気があり、すぐに欲しいものも一杯あった。 ヘレナは財布と相談して野菜や肉の市場を探索し、ヴァレリーはとりあえずの身の回り品しか持ってこなかったため、ヘレナに案内してもらって古着屋を何軒か回った。
 ヴァレリーが支払いに使ったのは、広げるのに時間がかかるほど細かく畳んだ一ポンド札だった。 当時の一ポンドは、中級のホテルに食事つきで丸一日泊まれる金額で、庶民からみれば大金だ。 彼女がペニーやシリングの硬貨を使わないことに、ヘレナはいくらか疑問を感じた。
「すごい畳み方ね。 一インチ四方ぐらいになっちゃってる」
「あ、これ?」
 ヴァレリーはもう一枚手提げからつまみ出して、じっと見つめた。
「これは母のへそくりだったの。 できるだけ小さく折って、ジャケットの縁に縫いこんであったのよ。 もう私にはこれしかなくて」
 最後の頼みか……。 早くこの人に仕事を探してあげないと、さぞ不安だろう。 ヘレナは心当たりを頭の中でいろいろ思い巡らした。


 近所に職業紹介所があることはあった。 だが仕事は住み込みの下働きがほとんどで、しかも重労働の上、薄給。 きゃしゃで力のないヴァレリーには向かなかった。
「それにね、使用人を雇えるぐらいの家では、あなたを受け入れる奥さんはほとんどいないと思うの」
 意外な言葉を聞き、ヴァレリーは大きく目を見張った。
「どうして? 私、何でもやるわ。 辛くても真面目な仕事なら」
「意気込みは偉いけど、あなたは綺麗すぎるんだ。 雇い主が夢中になっちゃったらどうする?」
 すぐヴァレリーは顔を伏せた。 唇がかすかに震えていた。 どうやら身に覚えがあるらしい。
「……実は、故郷を出てきたのはそれが原因だったの。 地元の郷士の人が親をなくした私を引き取ってくれると言って、私も嬉しかったんだけど、あやうく愛人にされそうになって」
「逃げ出せてよかったわね」
 かわいそうだが、世の中にはありふれた話だ。 ヘレナは頼りない妹を見るような目で、ヴァレリーを眺めた。
「今日は私が帰るまで留守番しててね。 焦る気持ちはわかるけど、一人で出歩いたら危険なの」
「はい」
 ヴァレリーも妹のように、おとなしく答えた。


 劇場の楽屋で忙しく舞台化粧しながら、ヘレナは同僚たちから情報を集めた。 だが、彼女たちが知っているのは、ダンサーや酒場の歌手の口ばかり。 ヴァレリーが踊って歌えるとは思えないので、役に立たなかった。
 しかたない、明日は勝手知った元の勤め先近くを当たってみるか、と決めて、ヘレナは今日も成功した舞台を終えて帰路についた。
 広い通りの端を目立たないように歩いているうち、黒い影がすばやく小路を横切るのが見えた。 反射的に手提げを探って拳銃を握るのと相前後して、影は消えたが、冷たい金属の感触を手のひらに実感して、ヘレナはあの夜のことを思い出した。
 こんなちっちゃなピストルで、サイラスさんは敵を一発で倒した。 いい腕だ。
 そうだ、情報通といえば、サイラス・ダーモットに叶う隣人はいない。 土地持ちだし、店もいっぱい持ってるようだし、おまけに質屋だ。 質屋は知識豊富でなければできない商売だ。
 サイラスおじさんに訊いてみよう。
 ヘレナはとつぜんひらめいたその考えに、にんまりした。 短い出会いだったにもかかわらず、彼女はサイラスに不思議な親しみを感じていた。









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