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表紙

アンコール!  13 話をつけて




 家へ帰って安心したところで、ヘレナは夕食を思い出した。
「さっきの貴族さんのところで出してくれたクランペットはおいしかったわね」
「ええ」
 ヴァレリーは言葉少なに答えた。 もう眠そうだ。
「でもあれはおやつだし、まだおなか空いてない?」
 目をこすって、ヴァレリーは首を横に振った。
「私は紅茶とクランペットで充分。 クロテッドクリームがとても濃くて甘かったし」
 そしてベッドの横にすべり下りると、膝をついて手を合わせ、就寝前の祈りを捧げた。
 その姿に、ヘレナは意表を衝かれた。 ごく幼い子供の頃は、彼女もこうして祈っていたものだ。 神が自分の願いを叶えてくれると、無邪気に信じて。
 なんとなく切ないような気持ちになったので、ヘレナはわざと大胆に足を上げて反動をつけて立ち上がると、戸棚に向かった。
「にしんとパンと、リンゴがあるのよ。 ここは朝食つきだけど、夜は出してくれないの」
「朝食があるの?」
 目を輝かせた後、ヴァレリーは思い出して顔を曇らせた。
「私は無理ね。 本当は泊まってもいけないんでしょう?」
「そんなことはないわ。 相部屋ということにしようよ」
 ヘレナは平気だった。 新しい劇団に移って、給料も増えた。 ぜいたくはできないが、家賃三割増の相部屋料金ぐらいは、とりあえず払える。
 ヴァレリーは素早く立ち上がって、ヘレナの傍に来た。
「本当にいいの? あなたの親切に甘えてしまって心苦しいけど、親戚が見つかるまでここに泊まらせてもらえたら、どんなにありがたいか。 仕事が見つかったら、すぐお払いするわ」
「当てにしてるわよ。 はい」
 リンゴを半分に切って渡すと、ヴァレリーは反射的に受け取った。
 仲良く食べながら、ヘレナは胸が温かくなった。 このヴァレリーという人は、好きにならずにいられないところがある。 純で、きちんと育てられていて、要領が悪い。
 私があなただったら、あんなに簡単にウェイクフィールドとかいう貴族の坊やと別れたりしなかったわよ、と、そろった歯でリンゴを大事そうに齧〔かじ〕っているヴァレリーを見ながら、ヘレナは思った。
 トマス・ウェイクフィールドは、ヘレナには堅苦しく挨拶しただけだったが、ヴァレリーとは手を握って別れを惜しんだ。 好意を持ったにちがいない。 その好意をそのまま返せとは言わないけれど、ちょっと優しくしてあげれば、いろいろよくしてもらえそうだった。
 でも、そうできない純情なところが、友達になるには好ましかった。 この子をすれっからしにしないために一肌脱いでみよう、と、ヘレナは心を決めたのだった。


 夜の間、ヘレナは何度か目覚めた。 火傷というのは厄介で、切り傷よりも痛みがじんじんと長引く。 布団の中で暖めればなおさらだ。
 ヴァレリーのほうがひどかったのだから、痛みも強いはずだ。 しかし、足を突き合わせる形で置かれたもう一つのベッドからは、何の音も聞こえてこなかった。 ヴァレリーは我慢強い性質らしかった。


 翌朝、いつもより早めに起きたヘレナは、更に早く起きていたヴァレリーを連れて、下宿屋のおかみフィリップス夫人に紹介しに行った。
 ヘレナはこれまで家賃を滞納したことがない優良下宿人だったし、地味な服装をして、見るからに中流のちゃんとした娘のヴァレリーを断る理由はない。 フィリップス夫人は二つ返事で、相部屋を承知した。
 それから二人の娘は、まあまあの味で量はたっぷり、という朝食を、だだっ広い食堂で向かい合って食べた。 それはヘレナにとって、久しぶりに家庭を思い出させる食事だった。









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